居多神社の参道から再び五智国分寺前に出て、次に光源寺を訪ねる。
真宗大谷派の寺院、山号は上野山。
山門は扉がないダウン
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1211年に親鸞の弟子最信が開山。
本堂は御影堂と本堂が一つになっているという変形ダウン
罪を許された親鸞が描いた自画像「御満悦の御影」を安置しており、国府御影堂、国府御坊と呼ばれてきた。
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また境内には高浜虚子がこの寺で詠んだ句碑もある。ダウン
「野菊にも 配流のあとと 偲ばるる」 虚子
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古い町並みの加賀街道を北に歩いて不捨山十念寺に向かう。ダウン
川中島の戦いで謙信が武田信玄から長野善光寺を守るために尊像・仏具を当寺に移したことから、浜善光寺とも呼ばれる。
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境内には出土した石造物が多くあり、鎌倉時代の五輪塔もある。ダウン
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さらに東にと歩いて日野宮神社に到着。ダウン
1614年頃、能登半島の能登島から一村挙げてこの地に移り住んだ人達の神社とのこと。
石灯篭が異常に長いのはこの地方特有のものである。
近くのスーパーでパンと飲み物を買って、境内で一休みとする。
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この辺りは直江津の中心街近くであり、義経・弁慶が一泊したという観音寺を捜す。
曹洞宗の寺院、山号は慈眼山。
仁王像がコンクリートの塀の中に納められており、防火のためであろう。左下矢印
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このことは「義経記」に載せられており、また義経が兜を捨てたといわれる兜池がある(写真、橋が架かる池)。
また源義家寄進の「浜の観音」や義経奉納と伝わる掛仏などもある。
正面の本堂は1928年の再建であり、木造二階建ての土蔵造り。ダウン
創建は1058~64年。
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