昨夜は日本酒を飲まなかったこともあり、この日の体調は万全であるため、思い切って春日山城址を巡ってみることにした。
春日山城は1381年に守護長尾高景が築城し、上杉氏の越後府中の館の詰め城となった。
何といっても謙信の城として有名である。
1607年に景勝が会津に移るに伴い、そのあと堀氏が入城したが、1607年に直江津港近くの福島城を築城したため、城としての運命を終えた。
 
神社横から続く急坂道を登って行く。
緑一色の中の森林浴で気持ちが良いが、思ったよりも急坂道が続く。
まもなくどの絵図面にも描かれているという千貫門跡に着くダウン
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春日山城は山頂の本丸から山裾まで点在する屋敷跡群と、裾野に廻らされた総延長1200mの空堀、土塁があることが特徴である。
写真は空堀右下矢印
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千貫門跡を過ぎるとさらに急坂道となり、虎口の先にある直江屋敷跡にようやく到着。ダウン
ここに直江兼継が住んでいたかと思うと感無量。
本丸に一番近い場所に屋敷があるということは、それだけ景勝に信用されていたからであろう。
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さらに再建された毘沙門天堂がある。ダウン
謙信が出陣前に戦勝を祈願したところで、大河ドラマにも良く出てきた。
お堂の隙間から毘沙門天像を撮ろうとするがうまく行かない。
後で訪ねた林泉寺に本物の毘沙門天が安置されていることを知らなかった。
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さらに護摩堂、諏訪堂跡に至る。
休憩所が設けられており、この辺りからの眺めは素晴らしい。
ようやく本丸・天守台に到着。ダウン
春日山城は天守閣をもたなかった。
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本丸から今度は下って行くと二ノ丸、三の丸跡に出る。
三の丸には謙信の養子である景虎屋敷跡があるダウン
景虎は謙信亡き後に、景勝との跡目争いである御館の乱に敗れた悲劇の武将。
その館跡のすぐ前に大事な米蔵跡があり、彼の藩内における重要性が押しはかられる。
彼は美男子であったとの評判もあり、最近の女子には景勝以上の人気があるという。
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それにしても険しい山岳を利用して城を築いた難攻不落の城である。
大河ドラマで見た御館の戦いで、直江兼継が一早くこの城を抑えたのは賢明であったということを、身をもって感じた次第である。
 
春日山城跡は今では強者どもの夢の跡だけ残るが、どこも大河ドラマで馴染の深い場所・人物でもあり、否が応でも想像力をかき立てられ軽い興奮を覚えた。
 
ようやく元の謙信公像の立つ場所に戻る。
ここから林泉寺を目指して九十九折りの道を下って行くが、かなり遠かった。