タクシーは分水の町中の常正寺を目指して走る。
運転手から車中で聞いた話であるが、3月11日の東北大震災の後に地元の農協から通達があり、今まで休耕田になっているところも今年は田植えをして欲しいとのこと。
お蔭で、例年に比べると天候も良くかなりの豊作が見込まれるという話。
農協のいつにない手まわしの良さに感心する。
 
日栄山常昌寺に到着しタクシーを降りる。
この寺の山門は江戸時代中期に建てられた薬医門であるダウン
薬医門の特徴は門の本柱が中心線より前方にずれている。
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境内には本堂ダウン、鐘楼、稲荷社などがある。
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常昌寺を出てぶらぶら歩きながら願成寺を目指す。
分水という地名は、信濃川を分岐させた大河津分水に由来するという。
地蔵堂本町交差点を渡ろうとすると、大通り右手の突き当りに堂宇が望まれた。
予定には入っていなかったが訪ねてみることに。
願王閣との門標があり、地蔵堂が建っているダウン
実は先ほど乗ったタクシーも地蔵タクシーという社名であり、何故なのか不思議に思っていた。
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この地蔵堂が実は分水の町の中心であったとのこと。
1187年に西行がこの地を訪れ、源頼朝から拝領された黄金地蔵を胎内仏とする地蔵尊像を彫り込で堂宇を建立し安置したのが始まりと伝わり、その後参拝者で大いに賑わったという。
「越路なるせばの渡りの朝あらし きのうも吹かけふも吹らし」 西行
 
現在の拝殿は入母屋瓦葺で、本殿は権現造風で共に精巧な彫刻があり、1837年の再建。ダウン
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お堂の横の窓が空いていたので見学したいと思い、隣にある勝敬寺の住職に尋ねると、地蔵堂は地域住民の浄財によって維持され町内会で管理しているとのこと。
すぐ近くの写真館「みどりや」を紹介される。
早速訪ねると、ご親切に一度閉めた戸を開けて堂内を見せて頂く。
現在の地蔵菩薩は江戸中期作だが、普段は非公開。
ただ堂内に飾られていた佐伯岸駒画「金地着彩群鶴図」二枚は見事であり、1837年の再建時に奉納されたもの。
お蔭で良い眼の保養をさせて頂いた。感謝。ダウン
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地蔵通りをまっすぐ北に歩いて願成寺に。
本堂の立派さにびっくりする。
ここの松もやはり形が良い。ダウン
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近くの諏訪神社に立ち寄り、ここからの古い町並みを愛でつつ分水駅にと向かう。
写真は分水のメインストリート。ダウン
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吉田駅乗り換えで北三条のホテルに帰着。
この日の道程は24000歩であった。
シャワーで疲れをとった後、数多く並ぶ飲み屋の中からホテルに至近の割烹「きくや」に飛び込む。
 
途中から入ってみえた地元の御夫婦とお話をする。
御主人の74歳の誕生日とのことで、地元の美味しい酒(福顔、久保田)を飲んでみて下さいという言葉に甘えていささか飲み過ぎた。
後で聞くと、その方は地元の商工会議所のトップの方とのことであった。