4号線から西に入り、住宅地の中を歩いて行くと小山城址に出た。
祇園城とも言われるが、城の守護神として祇園社(須賀神社)を祀ったことによる。
現在は公園となっている。写真は入り口ダウン
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築城は1460~65年頃と言われ、10m以上の空堀と土塁で仕切られた郭が並んだ造りとなっている。
まこの土塁には朱の祇園橋がかかっていたダウン
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なお江戸幕府になってからは本多正純が三万石の城主となったが、1619年に宇都宮に転封となり、この城は廃城となった。
写真は公園内。ダウン
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城址公園の西側から出ると、メイン道路に屋台がずらりとならんでいるのにびっくり。ダウン
今夜は順延されていた花火大会が行われるためだという。
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その花火大会は思川の河原で行われるという。
橋から思川の上流方向を望む。ダウン
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市役所の近くに広い空き地と森が広がっている。
説明板が立っており小山御殿跡とある。
徳川将軍家の日光参拝の際、休息・宿泊所として設けられたもの。
ここに造られたのは1600年の小山評定(関ヶ原の際)の吉例に習ったという。
 
将軍家は19回参拝され、うち家光は10回参拝した。
御殿には堀を廻らし土塁は二重に造られていたという。
幕府財政難のため次第に行われなくなり、1682年に解体された。
今は空き地が広がるのみで何の跡も残っていないダウン
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