この日の最後に訪ねたのは、兵主神社の近くにある興禅寺
天正7年に、明智光秀の重臣斎藤利三が城主となり、娘の春日局はここで生まれて3歳まで育ったことで有名。
写真は楼門。門前に石灯篭が一基立っているダウン
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黒井城の下館跡であり、戦国の城主は合戦の時は後ろの山城に立て籠もり、平時は下館で政務をおこなった。
今でも水をたたえた七間濠、5mの高石垣に白塀を廻らして、下館の面影を色濃く残す。ダウン
国史跡に指定されている。
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境内は白砂が敷き詰められ堂宇が整然と建っている。
写真は本堂ダウン
宗派は曹洞宗、山号は大梅山。
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元は誓願寺といっていたが、戦火ですべて焼失。
1626年に現在地に中興開山された。
写真は阿弥陀堂かダウン
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境内の庭園。ダウン
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片隅には瀟洒な鐘楼が建っている。ダウン
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興禅寺の前に別の寺の案内板があり、655年開基と書かれているので、横の道を登って行くと歌道寺があった。
風流な寺名であるが、高台に庫裏兼本堂のような建物のみダウン
天台宗の寺院、山号は金力山。
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これでこの日の予定はすべて終わり一路、高槻市を目指して車を走らせる。
この日は高槻駅近くの「梶平」でU君の慰労会兼反省会をする。
このお店は二年ばかり前にも来たことがあり、肴の美味しさに定評がある。
楽しいひと時を過ごし、丹波市の素晴らしい寺社との出会いに感謝しながら京都の宿に帰っていった。