次に7号線を横切って東にと車を走らせ、鷹取山に入る途中にある岩龍寺(がんりゅうじ)を訪ねた。
清流に架かる橋を渡って山道のような参道を登って行く。
質素な頭でっかちの鐘楼門が迎えてくれるダウン
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川の崖にへばりつくような狭い境内。
ただ歴史は古く弘仁年間(809~823年)嵯峨天皇が住吉明神の霊夢により、弘法大師をこの地に使わして坊舎を建立したのが始まりとか。
狭い境内には茅葺本堂が隠れるように建っている。ダウン
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本堂裏には護摩堂、庫裏などがある。ダウン
真言宗大覚寺派の寺院、山号は不動山。
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今度は西に西にと車を走らせて達身寺を目指す。
その途中に、道の駅風な食事処があったので昼食。
卵かけごはんに、田舎風の煮もの、魚の塩焼きとみそ汁を注文する。素朴そのものにして誠に美味なり。
 
達身寺は沢山の仏像を所蔵していることで有名であり、以前から一度訪ねたいと思っていた。
山門前の景色は、思っていたよりもこじんまりした寺という印象。ダウン
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石段を登ると茅葺の本堂が建っているダウン
721年に行基によって開山されたと伝わるが、何しろ古文書がほとんど残っていないため詳しいことはすべて不明である。
宗派は曹洞宗、山号は十九山。
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親切そうな奥さんに拝観料を払い早速、仏像の収蔵庫に案内していただく。
 
一つ目の収蔵庫は、一木造りの木彫仏がずらりと並んでいた。
その大半は手などが取れており、また仏像のお腹がふくらんでいるのが特徴。
寺伝によると、明智光秀の丹波攻めの際、寺を焼かれる前に僧侶たちが仏像を谷に運び出したが、そのまま長い年月放置されたままになってしまったためという。
また普通は一寺に一体あれば良いとされる兜跋毘沙門天が十六体もあるという。
これらを合わせて考えると、この地には丹波仏師の工房があったのではないかという説がある。
拝観した私も全く同じ考えを持った。
 
もう一つの収蔵庫には本尊である阿弥陀如来座像を中心に十二体の重文指定の仏像などがずらりと並ぶ様は壮観であった。
写真は本堂右手に建つお堂と庭園ダウン
 
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