車はさらに7号線を走り、この日訪ねる予定の寺院の中では一番遠いところにある高源寺を訪ねる。
質素な総門だが、山寺の風格が漂う。ダウン
 
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高源寺は山の麓にあり、まず苔むした石畳を青紅葉が一面覆っている素晴らしい参道に感激するダウン
紅葉の名所として名高いが、私は古刹には青紅葉のほうがより似合うのではないかと思う。
参道の途中に芭蕉句碑が立っていた。
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高源寺は1325年に開創、山号は瑞厳山。
臨済宗中峰派(幻住派ともいう)の本山ということだが、私は不明にもそういう流派があることを知らなかった。
甲斐の栖雲寺が東天目と呼ばれ、この高源寺は西天目と呼ばれる古刹。
なお栖雲寺は尋ねたいと思いながらまだ未訪の寺院である。
写真山門への石段ダウン
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不規則な石畳は登り難くまた滑り易い。ようやく山門に至る。ダウン
1790年頃に再建。
別名「紫鳳楼」と呼ばれ、二階にはお釈迦さまと十六羅漢を安置。
また山門の両側に屋根付きの階段が付いている。
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本堂に当る仏殿は「法王殿」とも言われ、1720年頃の再建。
境内の広さと比較するとかなり小さいお堂である。ダウン
本尊は釈迦如来座像、これは天台宗の僧・恵心僧都作と伝わる。
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さらに苔むした石段を登ると方丈が建っているダウン
1326年には後醍醐天皇より高源寺号を賜り、後柏原天皇の時代には勅願所にもなった。
最盛期には末寺は3000ケ所に及んだという。
しかし織田信長の丹波攻めでことごとく焼失し、現在の建物はほとんどが1790年台に再建されたもの。
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本堂の右手に築山があり、「大痩嶺」と呼ばれる。ダウン
雪舟の造築と伝わり、中国の大痩嶺を模って樹木岩石を配置したもの。
 
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三笑石橋があり、さらに樹木の中に三重塔が建つ。ダウン
1790年頃築で、毘沙門天を安置。
中は輪蔵になっており、経典が納められている。
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心字池があるが元は壮大な庭園だったが、今はその一部のみが残るのみ。
それでもなかなかの風情がある。ダウン
 
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また境内の楓は天目楓と言われる。
他に方丈、庫裏、宝蔵、鐘楼などがある。
写真は天目楓と、奥には方丈。ダウン
 
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今回、念願の丹波市の寺社を訪ねて良かったと心から感謝するのみ。
この広大な境内で出会ったのは、庭の手入れをされていた方ひとりのみであった。
また人の気配が全く感じられない別天地でもある。