軽い昼食の後、仏光寺を訪ねてみることにした。
但しこの寺は京都の中心部に位置する有名な寺である。
仏光寺は浄土真宗仏光寺派の本山、山号は渋谷山。
京都の本山らしく五ツ筋の入った白塀を廻らす。
写真は御影堂門で四脚門ダウン
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また唐破風門、勅使門が並ぶ。ダウン
他に客殿、鐘楼、大きな休憩所などもある。
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親鸞上人が越後から帰られて1212年に山科の地に草庵を結ばれたことを起源とする。
1586年に秀吉の懇願により現在地に移転した。
往時は本願寺を凌ぐ寺勢を持っていたという。
境内の正面に阿弥陀堂が建っているダウン
明治37年再建の入母屋造りの大堂である。
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その左隣にこれも大堂である大師堂が建っている。
明治17年の再建で、向拝付き入母屋造り。ダウン
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御影堂門前の通りには左右に塔頭群が並び、寺町を形成していた。
 
ふと空を見上げると、また晴れてきたので、天智天皇陵をたずねることにする。
再び地下鉄に乗って御陵駅に下車。
 
御陵駅前から東海道を東南に歩いて天智天皇陵を目指す。
かなり歩いても見当たらず、前から歩いてきた30代の買い物らしい女性に聞くも知らないとのこと。
その先20mのところに立派な参道があったのに、実に困ったものである。右下矢印
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見事に手入れされた長い石畳の参道が続く。ようやく入り口の門が見えてくる。ダウン
それにしても大きな陵地を持ち静寂に包まれた陵墓である。
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ようやく見渡す限りの樹木に囲まれた御陵に着くダウン
周囲に玉垣を廻らした上円下方墳の八角墳である。
天皇陵と称されるものは多いが、被葬者がはっきりしているのはここと、奈良の天武・持統合葬陵の野口王墓のみとされる。
天智天皇は皇子名を中大兄皇子と言い、大化改新を成し遂げ律令体制の基礎を創り上げた天皇として名高い。
その功績に見合うだけの陵墓である。
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