続いて城福寺庭園を訪ねる。
旅の案内書には庭園のみ書かれていたが、訪ねてみると寺自体がなかなか格式のある寺院であった。
 
城福寺は、平清盛の弟で池禅尼を母に持つ頼盛によって、平家一門の菩提を弔うため鎌倉時代に開かれた寺。
その池禅尼は、捕えられた幼き日の頼朝を命乞いして助けたことにより広く知られている。
源氏の末裔である福井藩主松平家も源氏の出ゆえに、池禅尼を厚く崇拝し、この寺は松平家の飛び地でもあった。
住職の説明によると松平家城主が毎年大名行列を仕立ててくるので、参道に広がっている茶畑は、その馬場跡であるとのこと。ダウン
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浄土真宗の寺院、山号は真柄山。
本堂は質素ダウン
またこの地は白鳳時代の寺院、野々宮廃寺跡でもあったという。
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本堂の左手に、謡曲「花筐」で名高い継体天皇ゆかりの花筐桜がある。ダウン
若き日の継体天皇が都に上るため、この地に残した妻「照日の前」が、その後都に上り思い出の花がたみを手に美しい舞を捧げたという愛の伝承物語である。
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庭園は元禄年間に造られた借景築山式蓬莱枯山水庭園の苔庭で1691年作庭、国名勝指定である。
築山の左にある柊の大木を手前の山とみなしている。
こじんまりした庭であるが、苔とこじんまりした岩が見事に配置されている。ダウン
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日野山系の山を借景とした庭の、鑑賞するのに一番良い場所に、藩主の間が設けられていた。ダウン
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城福寺の真ん前に五ツ筋の入る塀に囲まれた弘願寺があった。ダウン
味真野山とあるのでかなりの古刹であろうが詳細は不明。
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