味真野地区に行く前に、この蕎麦屋さんの近くにあるという紫式部公園を訪ねる。
紫式部が生涯でただ一度、都を離れて暮らした場所が越前である。
ここ武生には国府が置かれており、越前国司となった父藤原為時と共に一年余りを過ごしたという。
 
これを記念して造られた紫式部公園は、平安時代の貴族の住居を模して、池や築山を配した寝殿造庭園である。
写真庭園と釣殿ダウン
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公園内に立つ金色に輝く紫式部像は、高さ3mのブロンズ像。ダウン
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次に向かったのは越前市の東に位置する味真野(あじまの)地区。
ここは万葉集ゆかりの土地である。
平城の都からこの地に流された中臣宅守と、都に残った狭野弟上娘子との恋の舞台になり、二人の情熱的な歌は万葉集に63首も残っているという。
山合いの静かな町であり、古く立派な寺院が多く残っているのにはびっくりした。
 
まずは毫攝寺(ごうしょうじ)を訪ねる。
浄土真宗出雲路派の本山。
1811年築の欅造り赤瓦四脚門の御影堂門が素晴らしいが、私にはその瓦は赤くは見えなかった。
五ツ筋の立派な塀を廻らしている。ダウン
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その山門の彫刻。ダウン
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1233年、親鸞によって京都の出雲路に創建され、慶長年間にここに移転。
広い境内に御影堂、阿弥陀堂、経蔵(1811年)、鐘楼などが建っている。
御影堂は1884年築の正面七間入母屋造ダウン
その左に並び建つ阿弥陀堂も1884年築で正面七間入母屋造。
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光明天皇、後柏原天皇、後陽成天皇の勅願所でもあった。
写真は阿弥陀堂門と、笏谷石の重層の上に建つ鐘楼ダウン
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与謝野鉄幹・晶子夫妻がここを訪れて14首残していると聞いたが、境内のどこにも案内板はなかった。
「毫攝寺東大門の尊けれ 山風は撒く朱金の紅葉」晶子
 
また隣には塔頭の教證寺、向かいには龍源山光闡寺、静涼山広伝寺(写真ダウン)などが並んでいる。
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