寺町から川沿いに西に歩き、ようやく北街道に出ることができた。
北街道をしばらく歩いて左折し、龍雲寺に立ち寄る。
七代今川氏親夫人寿桂尼の菩提寺である。
彼女は、桶狭間で今川義元が破れた後、今川家を一つにまとめて「女戦国大名」の異名を持つ。
石柱門を入ると本堂が建つ。![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
曹洞宗の寺院、山号は洞谷山。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/d0/27/j/o0457034314527163946.jpg?caw=800)
寿桂尼の墓所は案内板に従って行くと、畦道を通り裏山にと登ってゆく。
五輪塔二基と石塔が並ぶが、いずれが彼女のものかは判然としない由。![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/88/82/j/o0343045714527163955.jpg?caw=800)
龍雲寺の参道の東に愛宕神社の道標がある。
それに惹かれてゆくと鳥居があり、石段が続いており、入り口に「秘境愛宕山」の石碑が立っていた。![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/f8/70/j/o0343045714527163968.jpg?caw=800)
興味が涌いたので登ってみることにしたが、これがまた大変な石段であった。
後で調べると元愛宕山城跡に神社が立っているとのこと。
途中、社殿かなと思うと来宮神社であり、さらに三輪鳥居であった
。
![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
ようやく見えた鳥居まで280段あり、社殿まではさらに急石段が続いている。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/9c/14/j/o0343045714527163977.jpg?caw=800)
ようやくのことに頂上にたどり着いて参拝。
祭神は迦具突智命、木花開耶姫命。
この愛宕山は古代より山岳信仰のご神体として信仰され、家康は駿府城の鬼門除けとした。
小さいがなかなか風情のある社殿である
。
![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/0b/e3/j/o0457034314527163989.jpg?caw=800)
すでに歩数は30000歩を越えており、かなり疲れたが意地になって蓮永寺までは歩くことにした。
北街道をさらに西に歩くと左手に須賀神社が見えたので立ち寄る。
祭神は建速須佐命。
中央の社殿の左に平成稲荷社
、右に福神社の社が建つ。
![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/5c/2d/j/o0457034314527164018.jpg?caw=800)