さらに山麓にある円成寺に。
臨済宗妙心寺派の寺院、山号は満徳山。
1337年に花園天皇の勅願で建てられたとある。
石柱門を入ると新しい本堂とお休み処福神堂がある。ダウン
本堂裏には墓地が階段状に並んでいる。
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この一帯の一番北に位置する長栄寺にたどり着いた。
曹洞宗の寺院で山号は玉井山。
葬儀の真っ最中で人の出入りが激しく、本堂にはあまり近づけなかった。
開創は1597年。
質素な山門と鉄筋本堂ダウン
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高台に向かって石段が伸びておりその先に観音堂が建っている。ダウン
井戸出現観音と言われている。
由緒を読むと、1567年に城主今川氏親が信玄に攻められ滅ぼされた。
その時氏親の姫君が逃れる途中、家宝の聖観音像をここの井戸に投入された。
その後、この井戸より聖観音像が発見されたのでそう呼ばれるようになったとのこと。
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安倍通に出てから路線バスに乗って、静岡の官庁街のある中町で下車した。
 
少し南に歩いて金座町にある金座稲荷を訪ねた。ダウン
家康の命を受けて後藤庄三郎光次がここに金座を開設する時、1606年にその守護神として祀ったもの。
お金の神様であり、祭神は稲荷大神、秋葉大神。
そのものズバリの金座町の地名はここだけとか。
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近くの静岡天満宮に立ち寄って参拝。
駿河城の堀端には京都市役所と静岡県庁が向かい合わせに建っている。
その市役所の中心にある、四階建で中央に二層の塔を持つクラシックな建物は、昭和9年に建てられたダウン
象牙色のタイル張りで見映えが良く、国登録建物である。
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駿府城の内堀沿いに歩いて東御門に向かう。
駿府城は外堀、中堀、内堀を持つ平城である。
家康が1585年に最初に築城し、その後1607年に将軍職を退いて大御所として入府した時に拡張・改良されたという。
写真は巽櫓と東御門橋ダウン
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東御門は二の丸の東に位置し、重要な門であった。
枡形門であり、近年になって復元されたもの。ダウン
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二ノ丸、本丸跡は駿府公園として市民に開放されており、多くの人達で賑わっていた。
眼を惹いたのは二ノ丸水路跡である。ダウン
本丸堀と二ノ丸堀とを繋ぐ水路であり、四回折れ曲がっているのが面白い。
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この広い公園の真ん中に、鷹を手にした家康像が立っている。ダウン
家康は1616年にこの辺りで75歳の生涯を閉じたという。
この像は昭和48年に建てられたもの。
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駿府公園の西の堀を渡って山田長政像を探すが空腹も手伝ってか、結局分からずじまいとなった。
近くの喫茶店で遅い昼食を兼ねてトーストとサラダで小休止。
 
天気予報によると明日は雨模様とのことであったので、この日は出来るだけ廻っておこうと思い、さらに寺社巡りを続けることにした。