一旦、駅まで戻り、踏切を越えて墨染寺(ぼくせんじ)を目指す。
駅に近く賑やかな商店街に墨染寺は門を開くダウン
宗派は日蓮宗、山号は深草山。
創建は874年。
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墨染桜寺とも桜寺とも言われる。
これは境内にある墨染桜に由来する。
平安時代の歌人上野岑雄が左大臣藤原基経の死を悼んで
「深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染めに咲け」
と詠んだところ、桜は色あせて咲くようになったという古事による。
今の桜は何代目かであるが、薄墨色の花を咲かせているという。
写真は本堂と手前に架かるのが桜の枝ダウン
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すぐ近くに欣浄寺(ごんじょうじ)がある。
鉄の扉は閉まっていたが、開けて境内に入って拝観する。
鉄筋の本堂が建ちダウン、ここには「伏見大仏」と呼ばれる丈六の木造大仏を安置しているということは帰ってから知った。
曹洞宗の寺院で、山号は清涼山。1230年~33年に道元が布教に努めた地とされ、「深草閑居の史跡」である。
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本堂前には池を配して庭園が設えてある。
この地は深草少将の邸宅跡とも言われ、ここから山科の小野小町のもとに百夜通ったという伝説の地でもある。
小町姿見の池」を始め、「少将小町供養塔」「墨染井」などと命名されていた。
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住宅街の中を抜けて近鉄奈良線伏見駅まで歩く。
近鉄電車に乗り一駅目の竹田駅に下車。
ここ数年は毎年2月末ごろ梅花見物に来ている城南宮を訪ねた。
城南宮の由緒等については既に紹介済なのでここでは写真のみ掲載。
写真は参道の梅。ダウン
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京都市内の梅はまだ満開だったため訪ねたのだが、ここの梅はすでに盛りを過ぎており、残念ながら枝の剪定をしているところであった。
ここの庭園の梅花はまだ若いので咲くのも速く散るのも早いのだろうか。
写真は春の山の梅。ダウン
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平安の庭ダウン
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竹田駅まで歩いて帰る途中に見かけた丸亀蕎麦屋に入り昼食をとる。
この店のママさんの言によると、梅花のシーズンはいつも観光客が多く、地元にいながら城南宮の梅をまだ一度も見たことがないとのこと。さもありなん。
女房殿が昨年、携帯で撮った写真を見せて差し上げると喜んでおられた。
 
今回の旅は大地震の後でもあり、もう一つ気分が乗り切れなかった。
我々は京都にここ10年ほどは毎年二回以上きているが、こんな閑散とした京都に出会うのは初めてである。
やはり大地震と原発事故が、ここまで深刻に影響を与えていることにびっくりする。
また京都市内のどこのスーパー、コンビニでも単一乾電池はすべて売り切れでもあった。
もう少し落ち着いてから、また京都に出直すことにしたい。