延暦寺からホテルに戻り、ふたたび出かける。
鴨川の一つ西側の小路から木屋町通りに向けて歩いていると小さいが閑静な佇まいの寺院があった。
この辺りの寺院はほとんど廻っているが、この瑞泉寺は初めてである。
瑞泉寺は浄土宗西山禅林寺派の寺院、山号は慈舟山。
豊臣秀次と連坐した一族、家臣の菩提を弔った寺である。
山門から今を盛りの梅花が見えた
。
![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/c5/f1/j/o0343045714527162318.jpg?caw=800)
狭い境内ながら、花や植栽が見る目を楽しませてくれる。
住職の人となりが偲ばれ良い佇まいである。
本堂は1805年の再建。![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/48/e5/j/o0457034314527162330.jpg?caw=800)
秀次は秀吉の姉の子であり、秀吉の甥である。
秀吉に子供が無いため、養子になり関白までなったが、秀吉の子秀頼が生まれると疎んぜられ幽閉の後、切腹させられた。
そして秀次の妻、妾、子ら39名がこの寺のすぐ東の三条河原にて惨殺された。
その人々の年齢はほとんどが10代の女性であり、その憐れさに涙する。
秀次の墓を中心にその五輪塔がずらり並ぶ
。
![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/b7/e8/j/o0457034314527162341.jpg?caw=800)
江戸初期の豪商、角倉了以が秀次らの菩提を弔うために1611年に創建した。
なおこの地は桃山時代、三条河原の中州であったという。
繁華街のすぐ近くにあるため、結構観光客が訪れていた。
写真は引導地蔵堂、極楽浄土へ死者を導く地蔵である
。
![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/4f/1a/j/o0343045714527162347.jpg?caw=800)
時間も17時を過ぎたため、この日は予てより目を付けていた、高瀬川一之船入近くにある「大岩」にて夕食。
串揚げ専門店であるが、京都らしい上品な揚げ物であり、小食の私でも結構食べられたし、胃にも持たれなかった。
ここの大将は昔、東京に住んでいたことがあるとのことで、結構話が弾む。
聞くとこの辺り一番の老舗であり、隣の「がんこ寿司」にも土地を貸しているという。
今度の震災で、海外からの旅行のキャンセルが多く、苦慮しているとのことであった。
ここ京都までも震災、特に原発事故の影響があるのに驚く。