翌24日はかなり気温が低く、予定では天台宗総本山の比叡山延暦寺を訪ねることにしていたが、どうしようかと迷った末に訪ねることにした。
5,6年前にY夫妻と訪ねた折は、閉門時間を少し過ぎていて、入れて貰えなかった苦い記憶がある。
今回は京阪電車の「比叡山1dayチケット」を購入する。
出町柳駅に出て叡山電鉄に乗り八瀬比叡山口駅に。
ここから叡山ケーブルと叡山ロープウェイを乗り継いで比叡山頂駅に。
チケットで乗り放題のシャトルバス乗り場にと向かうが、ここで何と45分待つことになった。
当日の気温は3℃であり、10人位の人が皆な震えながら待っている。
土、日曜日ならば30分間隔だが、平日は一時間間隔の運転だという。
 
当初の予定では東塔、西塔、横川地区とすべて廻る予定だったが、この寒さとバスの便を考えて今回は東塔地区のみとすることにした。
 
東塔地区で最初に訪ねたのは、阿弥陀堂に向かう途中、右手高台にある戒壇院(重文)である。ダウン
三間四方の裳腰付き宝形造りで屋根は栃葺。
丹や黒の色彩が重厚さを醸し出している。
1678年再建とされ、現在も5年に一回「大乗戒」の授戒が行われている。
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続いて阿弥陀堂を訪ねる。ダウン
横長の石段を登ると朱色の大伽藍が目に入る。
方五間の純和様式の建物。
1937年に比叡山開創1150年大法要を記念して建てられたもの。
本尊は阿弥陀如来を祀る。
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すぐ並んで法華總持院東塔ダウンと灌頂堂が並んで建つ。
伝教大師は全国に六ヶ所宝塔を建立し、その總括する宝塔としてここ比叡山に建立した。
信長の焼き打ちで消滅したが、400年ぶりに再建されたもの。
上層部に仏舎利、法華経1000部、般若心経50万部、100万遍の念仏名号が収められている。
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さらに大講堂を訪ねる。ダウン
僧侶の学問修行道場である。
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石段を下る途中に、登天天満宮の小さな社がある。ダウン
平安時代に菅原道真の怨霊が現れたが、当山の尊意和尚の説法により悔い改めて、今後は十一面観音菩薩となって自分を祈るものには災難から守ると言われ白煙となって天に登られた古事に由来する。
「雷除けの天神」「通いの天神、下りの天神」とも言われている。
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石段を下って延暦寺の總本堂である根本中堂に。
1571年に信長の焼き打ちの後、1642年家光によって再建された。
ぐるりと回廊が取り巻いておりダウン、重文指定。
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根本中堂の「不滅の法燈」は1200年灯り続けているという。
堂内は暗いが、目の高さより下に本尊薬師如来像や法燈があるのが珍しい。
内部は撮影禁止であるが、それを知らずに入り口で撮ったものダウン
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根本中堂の真ん前の石段を登ると文殊菩薩を祀る文殊楼が建っているダウン
二重入母屋造で、一見すると楼門のように見える。
また比叡山の総門の役目を果たしているという。
現在のものは1668年に焼失後、すぐに再建された。
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大黒堂ダウンはかっては政所、食堂とも言われていた。
本尊は大黒天、毘沙門天、弁財天の顔を持つ三面大黒天が祀られている。
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お腹も空いてきたので会館の中にある「鶴喜そば」に入る。
坂本にある本店には何度も足を運んだことのある老舗蕎麦屋である。
 
一時間に一本走るバスまで少し時間があるので、女房殿はお土産買いに、私はここから歩いて20分位の場所にある山王院、浄土院に向かう。
しかしながら、残念ながら工事中で立ち入り禁止であった。
後は次回の楽しみにとっておき、この日はこれで比叡山から下りることにした。