続いては岩王寺(しゃくおうじ)を訪ねる。
この読み方にはイワレがある。
三筆の一人嵯峨天皇はこの寺の奥より産出した岩王寺石の硯を愛用され、「石の王子であるべし」と絶賛された古事から、石より上の岩王寺と名付けられた。
なお岩王寺石は黒色で白糸紋が入っているが、今は採れないとのこと。
写真は苔むした石段と仁王門。ダウン
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仁王門は茅葺屋根で、八脚門、本堂よりも少し新しく建てられた。
宗派は高野山真言宗、山号は神宮山。
写真は仁王門を本堂側からダウン
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続いて建っている茅葺本堂ダウンの創建は定かではないが、1718年の勧進状が残ることからその頃と判断される。
三間四方の寄棟造りで、前には「瑠璃殿」の岩王石の額が架かる。
949年に空也上人の開創という古刹。
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本堂右手には熊野神社の小さな社と「サンシュユ」の木があった。ダウン
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本堂裏にはトタン屋根の庫裏ダウンが建っているが、無住なのであろうか。
 
1333年この地で生まれた足利尊氏が挙兵の折は、岩王寺の信徒が必勝祈願をし、その後700石の寺領を受け、寺僧100人を数えるなど隆盛した。
当時は沢山の堂宇が林立し、山陰随一の聖地とも言われたとのこと。
そういえば市内駅近くに「味方」という地名があり、この古事より名付けられたのであろうか。
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なお近くの広場に足利尊氏の銅像が建っているというので、立ち寄ってみた。ダウン
足利尊氏の銅像はどういうわけか、あまり見かけたことがない。
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