深い樹木に囲まれた近松公園が広がり、その一角に広済寺がある。
日蓮宗の寺院で、「近松寺」と俗称される。
山門には「如意珠院」の額。ダウン
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山門を入ると思ったほどは広くなく、真ん中に本堂が建ち、前には形の良い松がある。ダウン
創建は957年に多田満仲が妙見菩薩を勧請したことに始まる。
その後荒廃したが、1714年再興の折には近松門左衛門の尽力もあったという。
また妙見堂、妙福大明神堂などもある。
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本堂右手横に目指す近松門左衛門の墓がある。ダウン
彼の代表作としては「曽根崎心中」「冥途の飛脚」。
また本堂裏には近松部屋があり、ここで創作をし、晩年の10年をここで過ごしたという。
なお門左衛門の墓はここと、大坂谷町の法妙寺と二か所あるらしい。
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公園から大通りを越えたところに伊居太(いこた)神社
元は全長92mの前方後円墳(5世紀頃)であり、その跡に社殿が建てられている。
祭神は武甕槌神、天兒屋根命、経津主神、姫大神。
阪神大震災で社殿が倒壊し、平成11年に再建されたばかりですべて新しい。ダウン
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また近松公園の北側には伊佐具(いさぐ)神社ダウン
祭神は伊狭城入彦尊。
創建は不詳なれど、神功皇后が筑紫に行幸される途中、当神社前に上陸されて戦勝祈願されたという故事が伝わり、また式内社である。
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末社の白龍稲荷社は立派なお堂なので感心したが、もともとは社坊浄徳寺であり、神仏混淆の跡を留めている。ダウン
他に末社は宮八幡宮、金毘羅神社、愛宕神社、天満宮。
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境内の片隅に五輪塔水輪部と石造物がある。ダウン
赤松円心とそのゆかりの人の墓とされる。
円心は鎌倉末期から室町初期にかけて活躍した武将である。
1333年に北条氏との戦いで必勝を祈願し甲冑太刀を奉納し、ここ久々知で幕府軍を破った。
その後足利尊氏軍に味方して白旗城で新田義貞軍を食い止めたことでも知られる。
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予定ではこのあと伊丹市の寺社を訪ねる予定をしていたが、四日連続の強行軍でさすがに疲れたため、本日の寺社巡りはこれにて終了。
また阪急塚口駅まで歩いて戻る。
この日の道程は21000歩であった。