さらに東に歩いて行き、駅前の賑やかな通りを抜けると、飲食街の近くに忽然と山門が見える。
浜光明寺は浄土宗の寺院、山号は遍照山。
開創は1321~24年に三木市で、1617年に明石城主小笠原忠政が現在地に移転した。
飲食街の近く、明石港フェリー乗り場の傍にこんな古い寺院があろうとは驚きである。
山門は1849年再建の四脚門。ダウン
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本堂は1751年に再建。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
書院1779年再建で、1855年に明治天皇が宿泊されたという。
ただ境内は荒れ気味で、なかでも書院は酷く近づくことも出来ない。ダウン
折角の歴史的建造物なのに可哀相でもある。
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和鐘1729年鋳造で四天王、鳳凰、獅子などが浮彫りされた見事なもの。ダウン
幕末に五稜郭で戦い降伏した6名がここに預けられ、明石藩から丁重に扱われたのち、許されて赦免されたという逸話も残る。
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すぐ近くに同じく光明寺があり、上記を浜光明寺と呼び、ここは朝顔光明寺と呼び分けている。
宗派は真宗大谷派の寺院、山号は月池山。
しかし境内には鉄筋本堂と墓地が残っているのみ。
ただ境内の一角に、光源氏が境内にあった月見の池に映る月を見て歌を詠んだという「光源氏月見の池」があるが、かなり荒れ放題になっていた。ダウン
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このあと明石駅の近くにある名物商店街「魚の棚」に立ち寄る。
地元の人は「うおんたな」と呼び親しまれ、明石を代表する商店街。ダウン
魚屋、乾物屋、「たまご焼き」のお店中心に100軒余りある。
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商店街に囲まれた一角に厳島弁財天が祀られている。
細い路地のようなところを入ってゆくと、奥に鳥居と社が建っているのみ。
入り口には提灯がずらりと並び、毎日がお祭りのような賑やかさ。ダウン
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商店街の喫茶店に入って一休みの後、「たまご焼き(たこ焼き)」をお土産に買って義母宅に帰る。
明石市では随分と多くの神社仏閣を訪ねたことになり、この日の道程は20000歩であり、いささか疲れた。