本庄市の児玉地区の寺社を一度訪ねてみたいものと思っていたが、19日ようやく訪ねることができた。
武蔵小杉から湘南ラインで籠原に、さらに高崎行きに乗り換えて群馬県に入り、倉賀野駅から八高線でまた埼玉県に戻って児玉駅に到着。
三時間余りの電車の旅である。
 
駅に降り立つも、タクシーはなく、取りあえずは児玉町の中心である雉岡城跡を目指す。
12時を過ぎているので、とりあえず一軒だけ開いていたパン屋に立ち寄ってからスタート。
 
児玉駅前は極めて寂しく商店もほとんどないが、254号線462号線に出ると結構な商店が並んでおり、ここがメインストリートであった。
この大通りを突き抜けて西に歩くと、雉岡城跡の雉岡公園に至る。
 
雉岡城は八幡山城跡ともいわれ、戦国時代に山内上杉氏の居城として築かれた。
現在は公園となり、また学校などが建っている。
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奥の建物は塙保己一記念館
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
窪地に小さな夜泣き石が見えダウン、説明板がある。
昔、殿さまの夕餉に針が入っていたため、怒った奥方が側女小夜(妊娠していた)を疑い、井戸に生きたまま沈めた。
その後城内の飲み水が白く濁るなど異変が続いたため、井戸から棺桶を引き上げると大きな石と子供石になっていたという伝説の石。
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公園の一角に塙保己一記念館がある。
管理人の人に開けて頂き、ビデオと館内を見せて頂く。
塙保己一のことは「群書類従」を編纂した江戸期の国学者としての知識しか持っていなかった。
ビデオを見て、彼が幼少の頃失明して、検校の道に入り、また学問の道に進み、「大日本史」ほかの校正をしたり、和学講談所を設立したりしたことを知った。
またなによりびっくりしたのは、全盲の彼の書の見事な美しさであった。
世の中には凄い偉人がいるものだと感心する。
 
この日の最後に彼の生家ダウンを訪ねた。
この家で誕生し、幼年期を過ごしたとある。
茅葺二階建で国指定史跡。
今現在、人が住んでおられるとのこと。
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雉岡公園を出て、少し南に下がったところに浄眼寺がある。
真言宗豊山派の寺院で、山号は雉岡山。
山門と一本の木と本堂だけのすっきりした境内であるダウン
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さらに南に歩くと道端に穴守稲荷社があった。
真っ赤な鳥居と社。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
462号線の大通りに出て、西にしばらく歩くと白髭神社の境内がある。
かなり広い境内に社殿が建つ。ダウン
しかし詳細は不明。
ここに限らず、児玉地区の寺社についての資料が乏しいのは残念である。
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本殿の極彩色の彫刻が見事であった。