来迎院は806年に弘法大師が三宝荒神を奉安して開かれたとの伝。
山門を入ってまっすぐ先の石段を登ると荒神堂がある。
本堂、庫裏、客殿などが点在する。
また大石蔵之助は山科に隠遁している時、この地の幽玄に魅せられまた当寺から寺請証文を受けたこともあり、茶席含翠軒を建立した。
荒神堂(写真)には木造荒神座像、木造護法神立像(いづれも重文)を安置。
本堂と紅葉
庭園と奥右が含翠軒
今熊野観音寺には樹木の中を川に沿って歩き、赤い神橋を渡ると参道。
825年頃、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創。
山号は新那智山。
西国三十三観音霊場の十五番札所であり、頭痛、病気封じ、知恵授けに霊験ありとして参拝者が絶えない。
本堂と、後ろには多宝塔が見える
一面の紅葉に囲まれて、大師堂が建つ
新善光寺は1243年に後嵯峨天皇の勅願所として創建。
信州善光寺本尊と同体の金銅阿弥陀如来立像を鋳造して本尊としている。
即成院は泉湧寺総門の前にある。
山号は光明山、992年に開創された。
本堂には阿弥陀如来座像と二十五菩薩を安置
1094年に造られ、如来像は5,5m、二十五菩薩は150cmでいずれも重文。
本堂
本堂裏には平家物語の屋島合戦のヒーロー、那須与一の墓がある。
霊堂にはその時、的として有名になった扇が一面に飾られていた。
このあとバスに乗り、永観堂を訪ねることにした。