泉涌寺の塔頭を訪ねた順番に並べると、法音院、戒光寺、悲田院、雲龍院、来迎院、今熊野観音寺、新善光寺、即成院である。
法音院はこれらの塔頭の中では一番こじんまりしている。
鎌倉時代末の創建だが、戦火で焼失し、昭和初期に再建された。
本堂は英照皇太后大葬の御須屋だったもの。
門前、寺標の石がなかなか良い。
戒光寺は1228年、後堀川天皇の勅願所として創建され、1645年に現在地に移築された。
本尊釈迦如来立像は運慶・湛慶親子の合作で、高さ10mという大きさで圧倒される。
寄木造の極彩色で重文指定
首から上の病や悪いところの身代わりで信仰厚い。
山門
悲田院は境内の東はずれに建つ。
聖徳太子が身寄りのない老人や放置されている子供を収容する施設として造られたのが始まりとされる。
後花園天皇の勅願所。
高台にあり、境内からは京都の町が一望できる。
本堂
境内から京都市内を
雲龍院は1372年、後光厳天皇の開創。
真言宗泉涌寺派の別格本山、山号は瑠璃山。
北朝歴代の御尊牌が霊明殿に奉安されている。
後水尾天皇以降の陵墓が後山にあり、霊明殿はその皇室の位牌堂。
また、何故か台所に走り大黒天(鎌倉時代作)が安置されていて面白い。
本堂の龍華殿はさわら材を竹の釘で打った杮葺の雄大な建物で、重文指定。
本尊は薬師如来三尊。
境内
中庭
ここにも悟りの窓がある。
経蔵
泉涌寺から石段を降りて来迎院に向かう途中に、小さなお堂と神社がある。
善能寺の御堂である。