5日、この日は朝から空が晴れ渡り、絶好の行楽日和。
女房殿と、久しぶりに鎌倉を散策することにした。
鎌倉は何度も訪ねているので、今回は鎌倉駅から材木座の方に向かって歩くことにする。
 
まずは駅前の大巧(たいぎょう)寺に立ち寄り、まもなく生まれる予定の孫の安産祈願。
境内は小植物園のよう。
元は大行寺と言ったが、頼朝がこの寺で練った作戦により平家に大勝したので、大巧寺と改称し1320年に現在地に移転してきた。
日蓮宗、山号は長慶山。
 
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写真は駅側入り口
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いては妙本寺に。
この寺の境内は比企ヶ谷の鬱蒼とした山の麓に抱かれるように広い境内が広がっている。
日蓮宗の寺院、山号は長興山。
この一帯に比企能員一族の屋敷があった。
1203年北条時政によって、二代将軍頼家と能院の娘との子である一幡と共に比企一族は滅亡し、1260年に一族を弔うために創建された。
国木田独歩の詩「鎌倉妙本寺懐古」があり、また女性問題で対立していた中原中也と小林秀雄が和解した場所でもある。
 
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その入り口には幼稚園があり、お堂のような建物が使われており面白い。(写真)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大木が生い茂り、昼なお暗い参道を進む。
ところが残念なことに大きな山門は現在修復中で、覆いがされていた。
 
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写真は大きな本堂祖師堂)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
妙本寺から山裾を廻り込むように西に歩くと、常栄寺に至る。
日蓮宗で山号は慧雲山。
1271年、幕府に捕えられて龍ノ口の刑場に送られる日蓮上人に、この地に住む桟敷の尼が「ゴマのぼたもち」をささげたところ、その後奇跡が起こり日蓮は死罪を免れたという。
毎年9月12日には龍ノ口法難会が開かれ、ぼた餅がふるまわれることより、別名「ぼたもち寺」と呼ばれる。
 
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朱色の冠木門を入ると、狭い境内の本堂前には草花が咲き乱れていた。(写真)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いては八雲神社に。
祭神は須佐之男命、稲田比売命、八王子命、佐竹氏の霊。
永保年間に新羅三郎源義光が勧請し、祇園天王社と呼ばれていた。
裏山からは東勝寺に通じる祇園山ハイキングコースがある。
 
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写真は社殿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
バス通りに出て材木座にと通じる道を歩くと安養院に。
浄土宗の寺院、山号は祇園山、1225年の創建。
ツツジの名所として名高い。
北条政子が頼朝の菩提を弔うために建立した長楽寺が前身。
焼失した後ここに移転して、政子の法名から安養院とした。
 
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    アップ写真は安養院門前。