西大寺には私自身は何度も訪ねている。
765年に、称徳天皇の発願で東大寺に対する西の大寺として創建され、寺域も広大で百十余の堂舎が甍を連ねていたが、その後衰退し現在ではその面影は一部を残すのみ。
 
 
イメージ 1
宗派は真言律宗総本山、山号は勝宝山。
 アップ本堂(写真)は1804年建立で光明真言堂とも言われ、重文指定。
総板壁という特異な建物で1752年の建立。
堂内には釈迦如来立像(重文)、文殊菩薩騎獅像及び四侍者像などが安置されていた。
 
イメージ 2 
四王堂(写真)は1674年建立された。
重文の四天王像及び邪鬼はいかにも力強い。
十一面観音立像は長谷式観音像でやはり重文指定。
 
 
 
 
 
 
本堂の真ん前には東塔跡の八角形の小石列があり、八角七重塔跡といわれる。
創建時の計画は変更されて、実際は八角七重塔にはならなかったという。
写真は塔跡と、その先には室町期築の南門
イメージ 3
 
 
 
愛染堂は1762年に京都の近衛公政所御殿を移築したもの。
震殿造りの仏堂。
折から特別開帳されており拝観。
興正菩薩坐像は1280年に80歳の寿齢時に造立したもので重文指定。
秘仏愛染明王坐像はわずか34cmと小さいが、1247年作で重文指定されている。
写真は境内の様子
イメージ 4
 
 
聚宝館には国宝の金銅宝塔などの宝物が展示されていた。
他に大師堂、鐘楼堂、東門前に石落神社などもある。
石落神社は1242年に勧請され、西大寺の鎮守社。(写真)
本殿は一間社で簡素な見世棚造。
イメージ 5
 
 
さらに垂仁天皇陵を訪ねる。
濠の東南部にある小島は田道間守の墓。(写真)
垂仁天皇の命で不老不死の果物を探して持ち帰ったが、天王は既に死んでおり、悲嘆の末
に死んだため傍に葬られたという。
以前に訪ねた時にその哀話を聞いて、おもわず涙したことがある。
水濠に囲まれた全長227mの前方後円墳。 
イメージ 6