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すぐ近くにある恵林寺を訪ねる。
黒門を入り長い参道の先に建つ四脚門は、赤門とも言われ1606年の再建。(写真)
桃山様式の切妻造桧皮葺で、重文指定されている。

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境内は極めて広く、また植栽が手入れ良く隅々まで整備されていた。
快川和尚の「心頭を滅却すれば火もまた涼し」で有名な三門に至る。(写真)
一間一戸と、思っていたより小さめの山門で、ここで焼かれたとなると火の廻りが早くさぞかし熱かったのではと人ごとながら気になる。
もっとも再建した門は小さめに建てたのかな。

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臨済宗妙心寺派、乾徳山、1330年創建、開山は夢想疎石。
正面に建つのは開山堂である。(写真)
周囲は岩と植栽で大胆な作庭がされていた。

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開山堂の裏には大きな方丈が建っている。(写真)
ここがいわゆる本堂に当るところであろうか。
また三重塔も建っているが新しいし、まだ周囲と馴染んでいない。

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拝観料を払い方丈に入る。
方丈前庭は枯山水風庭園で、白砂が敷き詰められ掃目も鮮やか。(写真)
「うぐいす張り」の廊下から明王堂に。

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ここ明王堂には武田不動尊座像と二童子像が安置されている。(写真)
信玄が生前に自分の姿を模して製作させたと言われ、信玄生不動とも呼ばれる。
撮影禁止ではないので一枚パチリ。

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さらに信玄墓にと続く。
信玄は53歳で病死、その三年後ここ恵林寺で快川和尚により葬儀が行われた。
五輪塔と宝筐印塔からなり、100年忌の1672年に造立された。(写真)
信玄の墓の後ろには武田家臣の供養塔が七十基ばかり並んでいるが、死してなお仕える姿は時代だったとはいえ何となく物悲しい。

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柳沢吉保と正室定子夫妻の墓がある。(写真)
甲府15万石の藩主で、将軍綱吉の側近として異例の出世を遂げたことにより、世間では悪者扱いされているが、実際は名君であったらしい。
往年の東映時代劇ではいつも悪役として描かれたイメージが強かったからであろう。

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池泉回遊庭園は夢窓国師作で国指定名勝。(写真)
背後の乾徳山を借景とし、心字池に築山を配している。
外人の団体が一番良い場所を長く占領していてなかなか動かない。
いつも思うのだが、外人は本当に日本庭園が好きな人が多い。

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最後に大庫裏を通って受付の場所にと帰る隅々まで。
写真は大庫裏の内部。

恵林寺は確かに大寺としての風格があるし、観光のメッカとしていつも観光客で賑わっている。
いわば京都の大寺と同じである。
私には趣がイマイチであり、残念ながらまた来たいとは思わない。