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この辺りからは東に甲斐善光寺の大きな本堂が見える。(写真)
数年前に、Yご夫妻と訪ねたことがあるが、折角近くまで来たので再度訪ねてみることにした。
信玄が、川中島の戦いで戦火が信濃善光寺に及んだため、自分の領国の甲斐に本尊を移したことから始まる。
よって信玄が開基で、1558年に建立した。
山号は定額山、浄土宗の寺院。

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山門は高さ15m,桁行き17mという堂々たる構えの重層楼門である。(写真)
1764年に上棟供養されたという記録があり、重文指定。
金剛力士像は未完成とのこと。

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本堂は1796年の再建で入母屋造りの撞木造で重文指定。(写真)
桁行38m,梁間23m,高さ26mという東日本最大の木造建築物。
善光寺如来(重文)は秘仏。
今年のお彼岸には私の田舎での墓参が叶わないので、ここで代わりに済ませることにした。
なお戒壇廻りは前に来た時にしたので、今回はパス。

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善光寺の参道を南に歩き、線路の手前から左折して酒折駅を目指す。
駅の手前にある酒折宮に立ち寄る。(写真)
何となく訪ねた宮であるが、社務所に置いてある由緒書を読んで驚いた。
祭神でもある日本武尊の行宮の地とある。
「古事記」と「日本書紀」共に、倭建命(日本武尊)が東征の途中、酒折宮に滞在したことが記されている。

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また酒折宮は連歌濫觴の地とされる。
日本武尊が滞在中に「新治筑波を過ぎて幾夜かねつる」と詠むと、御火焼の老人が「かがなべて夜には九日には十日を」と続けたと言う記事が連歌の始まりとされる。
また日本武尊から賜った「火打嚢」を御神体として社殿を建てたという。
境内の社殿は質素であり訪ねる人もあまりない。