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さらに藤村が毎日通っていたという通りを下って行き大手門を目指す。
周囲は公園になっており、門と石垣の一部が保存されていた。
1612年仙石秀久が小諸城を築いた頃の建築。
五間幅であり一階は門、二階は書院風の造りになっており、桃山時代の作風。(写真)
重文指定されている。

これでモデルコースは終わり、駅近くに戻ってくるがまだ電車の時間まで50分ある。
私は再度、懐古園を見たいと言うも、女房殿は駅前の市民ガーデンに隣接する喫茶店で休みたいとのことなので1人で出かける。

懐古園は小諸城跡を公園として、史跡や博物館、美術館が点在している。
小諸城は平安末期から鎌倉時代にかけて木曽義仲の武将小室氏が最初に築いた。
その後大井氏が鍋蓋城を築いたが、信玄に攻められて落城。
信玄が山本勘助と馬場信房に築かせたのが、現在の小諸城跡で「酔月城」と言われた。

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懐古園の入り口には豪壮な三の門がある。(写真)
寄棟造り二層の城門で、現在のものは1765年に再建されたもの。
正面の「大額」は徳川家達の筆。
重文指定。

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受付けで入場料を払い、まずは二の丸跡に。
弓道場を過ぎると、黒門橋が架かり、その畔に稲荷社がある。(写真)
この橋は別名そろばん橋といい、緊急の時は橋げたを取り外すことのできる太鼓橋が架かっていたという。
稲荷社は元禄15年に藩主牧野公が与板藩から国替えの時に遷座したもの。

小諸城は全国でも珍しい城下町より低い穴城となっている。
千曲川に向かって傾斜しているここに城を建てたことになる。
ここの土地は浅間山の火山灰でできているので崩れやすく、そのため断崖が堅固な要塞となっているとのこと。

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本丸跡には懐古神社が建っている。(写真)
自然石の野面積の石垣が見事に苔むしていた。
祭神は藩主牧野公歴代、菅原道真、火之迦具土命で明治13年に創建された。

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天主台跡に上がって見る。(写真)
元は三層の天守閣があったが、1626年に落雷で焼失してしまった。
写真は天主台跡から園内を写す。

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さらに私が一番好きな場所である「水の手展望台」に。
ここからは千曲川が一望できる。(写真)
近くには藤村詩碑も立っていた。

藤村と小諸といえば「千曲川旅情の歌」を誰でもすぐに思い出であろう。
「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず、若草もしくによしなし しろがねのふすまの岡辺 日に溶けて淡雪流る(以下省略)」
つかの間の間だが、学生時代の気持ちに返る。

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駅前の喫茶店まで戻り、一休み。
この喫茶店は市民ガーデンの中にあり、なかなかの繁盛である。
写真はそのガーデンから小諸駅を写したもの。

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小海線の電車に揺られること二時間でようやく甲斐大泉駅に帰る。
翌、三日目は女房孝行に徹して、清里を訪ね歩いた。
写真は小海線甲斐大泉駅に入ってくる電車をパチリ。