国分寺跡の東側には市民会館が建っており、さらに東には広大な中央公園の森があり、その一角に市原市役所が建てられている。
古代において、この辺りがいかに広大であったかを、しみじみと身体で感じながら歩いて国分尼寺跡を目指す。
それにしても台風一過、気温が上ってきており暑い。

まずは「史跡上総国国分尼寺跡展示館」を見学。近代的な建物に入ると、そんなに広くはないが、復元模型や展示物が判り易く並んでいる。
ただ残念ながら団体の先客があり、詳しい説明が聞けなかった。

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国分尼寺跡の寺域は南北371m、東西285~350m、面積は12万3000㎡と、全国の尼寺の中で最大規模を誇る。
写真は跡地に復元された回廊。

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近年の発掘調査によって金堂、講堂、中門、回廊などの跡が発見され、また政所院、大衆院、修理院跡なども確認されている。
現在、広大な敷地の中に、金堂院(金堂基壇と中門、回廊)が平成9年に復元された。
色はくすんだ朱のべんがら色で、触ると衣服などに着くので注意書がある。
金堂は桁行七間、梁間四間で基壇が保存されている。(写真)

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中門は金堂院の南正面の門であり、切妻造、八脚門。(写真)
復元に当って屋根瓦は5600枚使われ、回廊と合わせると45000枚もの瓦が使用されたという。
当時の瓦は平城京と同じく唐草文、蓮華文の紋様だったという。

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基壇前には青銅製で金箔を張った東大寺型灯篭が、周囲と違和感があるが金色に輝いている。
写真は真ん中に基壇、灯篭、奥に復元された中門と回廊。
それにしても全国の国分寺、国分尼寺でここまで復元されているのは珍しい。
また展示館も含めて無料であるのに、復元伽藍では誰一人として出会わなかったのは寂しい限りである。

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帰りに西門跡近くにある牛頭神社に立ち寄る。(写真)
この辺りは住宅地になっているので、場所を移動させたようで、すべて新しくなっていた。

中央公園内を歩いて市役所正面まで出る。
ここからタクシーに乗って、五井の市街のはずれにある大宮八幡で下車する。