101伝通院
宗派  浄土宗
山号  無量山  寺名 寿経寺
創建  1415年 了誉聖冏上人
本尊  阿弥陀如来
住所  文京区小石川3-14-6

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坂道を上り詰めたところに目指す伝通院がある。
ところが山門を工事中であり、雰囲気が一変しているのにはがっかりした。
また新しい社殿にすべて建て替えられており、昔の面影は全くない。
写真は本堂。

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1603年、家康の生母於大を葬むり、600石の朱印寺でありまた多くの大名の菩提寺
でもあり隆盛を極めた。
関東16檀林の一つで、常時1000人の学僧がいたという。
写真は客殿横に僅かに残る庭園。

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門前に浪士隊結成の地である「処静院跡」の石碑があるはずであるが、工事中の覆いの
ため入れない。
裏の墓地に回り於大の墓を訪ねる(写真)
於大は松平家に嫁いで、後の家康を産む。
松平家を離縁になったあと久松家に嫁いだ。

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また隣に千姫の墓が並んで立つ。(写真)
秀忠と江の長女であり家康の孫娘。
7歳で秀頼と結婚するが、大坂夏の陣で落城し、1人救出される。
その後桑名藩主本多忠刻と結婚し幸せな生活をする。
夫と死別後、江戸城に入り大奥で権勢を誇り70歳で死去。

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また家光の正室である孝子の墓もある。(写真)
関白鷹司信房の娘で、江戸城に入るも、武家の生活になじめず73歳で没す。
私の女房殿と同名のため興味を覚えたので敢えて載せた。
その他清河八郎、沢宣嘉(七卿)、古泉千樫、佐藤春夫、柴田錬三郎などの墓がある。