水戸線の電車に乗り、隣の稲田駅に下車。ここも笠間市である。
目指すは稲田御坊西念寺。
目指すは稲田御坊西念寺。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/07/38/j/o0292038914527149091.jpg?caw=800)
駅から20分ばかり歩き、石造りの太鼓橋を渡ると樹木が覆う参道に入る。(写真)
1214年、越後に配流されていた罪が許された親鸞が、ここに草庵を結びそれから20年に亘って布教に努めた地である。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/42/6d/j/o0389029214527149098.jpg?caw=800)
茅葺の山門は室町時代築とされる。
なかなか風情の漂う山門。(写真)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/4c/95/j/o0389029214527149108.jpg?caw=800)
宗派は勿論のこと浄土真宗で、山号は稲田山。
本堂(写真)の内陣は大谷派と本派の両派の荘厳が混在している。
親鸞は20年間この地で、内室玉日姫と六人の子供と過ごした。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/19/27/j/o0389029214527149116.jpg?caw=800)
本堂右手の階段を登って行くと、木立の中に太子堂がひっそりと建っていた。(写真)
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/3e/2f/j/o0389029214527149132.jpg?caw=800)
さらに親鸞の分骨を祀る御頂骨堂がある。(写真)
このため稲田御坊と呼ばれ、信徒たちの聖地とされている。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/d0/20/j/o0389029214527149143.jpg?caw=800)
また親鸞は1224年に「教行信証」をこの地で完成させたと伝わる。
親鸞ゆかりの御葉つき銀杏、神原の井戸などの遺跡が多い。
写真は御頂骨堂への参道から本堂を写した。(写真)
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/6c/83/j/o0389029214527149148.jpg?caw=800)
さらに参道にある林照寺を訪ねる。
1783年の天保大飢饉の折、当時の住職が加賀越中を訪れて移民を勧誘して、この地に定着をさせた。
また門徒のために草庵を再建して心の拠り所としたという。
手入れの行き届いた境内には茅葺堂が見える。(写真)