尾上神社から真っ直ぐに北に道を取り、猛暑の中をただただひたすら歩く。
ようやく前方に目指す鶴林寺が見えてきた。
見ると近くに回転寿司屋があったので、急ぎ昼食とする。
炎天下でもあるため、炙り魚の寿司のみを食べたが、四皿でもって840円と格安。

鶴林寺にはかれこれ5年ばかり前に訪ねたことがあり、堂宇の美しさに感嘆の声を上げた。
創建は極めて古く崇峻天皇二年(589年)、聖徳太子の命により精舎を建立し、刀田山四天王寺聖霊院と名付けられたのが始まりとされる。
1112年に鳥羽天皇の勅願所となり、鶴林寺の勅額を賜ったという。
この時に国宝太子堂や常行堂が造られた。
鎌倉、室町時代に最盛期を迎え、寺坊30余、寺領25000石、楽人10人が常に舞楽を奏していというから凄い。

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大門前から周囲には堀が廻らされており、広い境内は樹木が茂り、堂宇の周囲は公園として市民に開放されている。
仁王門は三間一戸の二層楼門形式。
写真は仁王門と左は三重塔。

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山門を入って左手の奥まったところに、小さな行者堂がひっそりと建つ。(写真)
結構古く1406年に建てられ、一間四面堂と小さいか寄棟造り妻入りという変形で重文指定されている。
当初は日吉神社として祀られ、明治になって役行者を祀るようになった。

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正面に建つ本堂は1397年に建てられた桁行七間、梁間六間の入母屋造の堂々とした建物で国宝指定されている。(写真)
昔は大講堂と呼ばれていた。
外側の扉はほとんどが桟唐戸を廻らし優美かつ開放的な外観。
和様、天竺様、唐様が巧みにミックスされた建物として評判が高い。
前回の時は説明付きであったが、今回は自由拝観であった。
内陣には宮殿があり、本尊他は60年毎にご開帳。

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本堂の右手には、これまた優美そのものの国宝太子堂が建っている。(写真)
1112年の建築で、兵庫県では最古、本来は法華堂であったという。
方三間の宝形造で、桧皮葺の屋根の反りも実に見事で、全体のバランスが美しい名品である。
近年になってレントゲンにより内部の壁画が発見され、後ほど宝物殿で見た。

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本堂左手には常行堂がある。
正面三間、側面四間、四方に縁を廻らし安定感のある建物。
平安時代築で重文指定。
ひときわ目立つ朱色の三重塔は、室町中期の建物だが、大修理、火災での一部焼失などにより、昭和55年に解体復元修理されたもの。
写真は常行堂と三重塔。

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太子堂の奥にある鐘楼も重文指定。
腰袴造り入母屋造りで、本堂より10年遅れて1407年に建てられたという。
鐘楼の右には観音堂、護摩堂、弁天池などが並んでいる。
護摩堂は1462年に建立され、実に簡素な造りであるが重文指定。
写真は鐘楼と後方は観音堂。

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境内の一番奥に宝物殿があり、拝観する。
沢山の仏像、絵伝、工芸品、太子堂壁画などが展示されていた。
重文の金銅聖観音像は白鳳時代作で83cmと小柄ながら、細みの身体に典雅な顔立ちが素晴らしい。
その昔泥棒がこの観音像を盗んだ時に「アイタタ」という観音様の声を聞き、像を返したという伝説から「「あいたたの観音様」との別名あり。
太子堂壁画も珍しくゆっくりと拝観することができた。
写真は公開されていた新観音堂の仏像群。

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宝物館の並びには塔頭の真光院、宝生院、浄心院などがある。
最後に本堂、太子堂の国宝二棟が並ぶ写真を。

今回は境内で拝観者をほとんど見なかったこともあり、ゆっくりと境内の隅々まで見ることが出来、また宝物殿もじっくりと鑑賞することができた。
何度見ても新しい発見、感動を覚える見事な寺院である。