![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/14/06/j/o0389029214527146246.jpg?caw=800)
続いては豊財院を訪ねる。
思ったよりも境内は狭いが、入り口の鐘楼門には真ん中に梵鐘が吊られている。(写真)
自由に鐘を撞いて煩悩を払って下さいとのこと。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/96/8f/j/o0389029214527146252.jpg?caw=800)
豊財院も曹洞宗の寺院で、やはり瑩山禅師1312年に堂宇を建立したのが始まり。
山号は白石山。
写真は本堂。
この寺のお嬢さんが私一人のために宝物殿を開けて、丁寧なご説明をして頂き感激。
まず名高い聖観音、馬頭観音、十一面観音の重文指定の仏像が三体並ぶ。
いずれも平安中期の作、ほぼ人と同じ高さであり、実に素朴な造りで見ていてホッとさせられる。
またびっくりしたのは月澗和尚他の手による「血書大般若経」である。
全部で600巻におよぶが、すべて自らの手指を刺し、その血をもって書写したという。月澗和尚が301巻、その弟子が30巻、残りは後年になって規外霊長和尚の手で(まさに手によって)完成されたもの。
まず名高い聖観音、馬頭観音、十一面観音の重文指定の仏像が三体並ぶ。
いずれも平安中期の作、ほぼ人と同じ高さであり、実に素朴な造りで見ていてホッとさせられる。
またびっくりしたのは月澗和尚他の手による「血書大般若経」である。
全部で600巻におよぶが、すべて自らの手指を刺し、その血をもって書写したという。月澗和尚が301巻、その弟子が30巻、残りは後年になって規外霊長和尚の手で(まさに手によって)完成されたもの。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/25/3b/j/o0389029214527146261.jpg?caw=800)
この辺りの田園風景は素晴らしい。
豪農が多いのか、寺院と見間違うようなお屋敷の構えも結構見かけた(写真)。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/93/44/j/o0389029214527146276.jpg?caw=800)
羽咋駅に戻って来たが、次の電車まで30分ばかり時間がある。
タクシーに乗った時、駅近くにある山門が瞼に残っていたので急ぎ出かける。
本念寺であるが、山門前の道幅が無いため、撮るのに苦労する。(写真)
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/d7/2d/j/o0389029214527146285.jpg?caw=800)
本堂もなかなか立派であった。(写真)
真宗大谷派の寺院。
「羽咋のほうじ」と呼ばれるイベントが賑やかとか。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/0f/3d/j/o0389029214527146297.jpg?caw=800)
その並びに小さな境内があり小さい鳥居と社殿が建っていた。
少名彦名神社であり、ご神体は薬師如来とのこと。
鳥居前に水犬塚がある。(写真)
石衛別命が怪鳥を射ち落とした時、命に従っていた白・黒・斑の三匹の犬が怪鳥の羽をくわえて殺した。
この古墳は三匹の犬と怪鳥を葬ったもの。
羽喰(羽咋)の地名はここから起こったという。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/73/08/j/o0389029214527146312.jpg?caw=800)
古い町並みを西に少し歩くと羽咋神社の境内がある。
式内社であり、祭神は石衛別命。
写真は社殿。