一通り廻り終えて伏木駅に戻るも、電車の待ち時間がまだ1時間もあり、勿体ないので駅前に停まっていたタクシーの運転手さんと交渉して、雨晴海岸から山に入ったところにある国泰寺を訪ねることにした。
事前に調べた時、行きたいと一度は考えたが、時間がなさそうなこととタクシー代が高そうなので諦めていた。
事前に調べた時、行きたいと一度は考えたが、時間がなさそうなこととタクシー代が高そうなので諦めていた。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/a1/66/j/o0389029214527145831.jpg?caw=800)
国泰寺の総門を見た瞬間に、やはり訪ねて来て良かったと思ったと確信する。
人里離れた山の麓に座禅の修行道場として発展してきた。
写真は総門前。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/8f/b5/j/o0389029214527145839.jpg?caw=800)
臨済宗国泰寺派の大本山であり、山号は摩頂山。
1296年に慈雲妙意が開山。
御醍醐天皇の勅願寺でもあった。
1585年に現在地に移ってきた。
写真は山門。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/24/d1/j/o0389029214527145851.jpg?caw=800)
法堂前には龍淵池があり、石橋が架けられ草花が植えられ見事な庭園風にしてある。(写真)
また左手には昭和42年築の観音堂が建っている。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/6a/da/j/o0389029214527145859.jpg?caw=800)
実にどっしりとした法堂があり、さらに裏の大方丈を拝観。
拝観料は無料なので、どうぞと言われてまた感激。
ここの庭園の石組が見事。(写真は大方丈と庭園)
月泉庭と名付けられ、大きな石を自在に組み合わせた雄大なもの。
庭園の石の大きさでは日本最大級であろう。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/57/14/j/o0389029214527145866.jpg?caw=800)
明治になって廃仏毀釈で荒廃したが、山岡鉄舟の尽力で再興したとのこと。
また虚無僧の寺としても知られ、開山忌には尺八法会が開かれる。
写真は禅堂と庭園。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/7a/0b/j/o0389029214527145874.jpg?caw=800)
伏木に戻る途中、雨晴(あまはらし)海岸に立ち寄る。
この変わった名前は、義経が平泉に下向する時、この地で大雨に遭い、ここの巨岩の下で晴れるのを待ったという伝説から名付けられた。
「義経雨はらしの岩」または義経岩(写真)と呼ばれ、そのほかに男岩、女岩もある。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/c4/d5/j/o0292038914527145885.jpg?caw=800)
天気の良い日は海岸越しに雄大な立山連峰が望まれる景勝地でもあるが、この日は生憎と薄曇りだったのが残念。
また義経岩続きに大きな岩があり、義経社が祀られていた。(写真)
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/ef/6e/j/o0389029214527145891.jpg?caw=800)
大伴家持も何度もこの地を訪ねて絶賛しており
「馬なめて いざ打ち行かな渋渓の 清き磯みに寄する波見ゆ」
また芭蕉の句碑もある。
「早稲の香や 分け入る右は 有磯海」
まさに歴史的名勝地である。
写真は海岸の風景。
氷見線に乗り高岡駅に戻り、北陸本線に乗り換えて金沢駅に到着。
この日の道程は23000歩であった。
早目に風呂に入り、この日はホテル内の和食のお店でゆったりと過ごし、明日の英気を養う。
というか、情けないことに昔と違って繁華街に繰り出す元気がなくなってきたようで、はなはだ寂しい限りである。
この日の道程は23000歩であった。
早目に風呂に入り、この日はホテル内の和食のお店でゆったりと過ごし、明日の英気を養う。
というか、情けないことに昔と違って繁華街に繰り出す元気がなくなってきたようで、はなはだ寂しい限りである。