ようやく目指す勝興寺(しょうこうじ)に到着。
本堂は7年がかりで改修され一般公開されているが、総門と大広間、書院、台所など本坊部分は10年がかりの工事中で入れなかったのが誠に残念である。
ここで受付を済ませて入場。

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小川が流れ、橋が架けられて唐門(写真)が建っている。
四脚門でなかなか豪華な門である。
この門は1769年に京都興正寺で建築されたもので、明治になってここに移築されたという。

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本堂(写真)は40m四方の広大な建物で見る者を圧倒する。
1795年に西本願寺の阿弥陀堂を模して建立されたという。


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浄土真宗本派の寺院であり、山号は雲龍山。
1471年に蓮如が土山御坊を開いたのが始まりで、1584年に現在地に移った。
勝興寺は戦国時代、瑞泉寺と共に越中一向一揆の拠点となった寺院でもあり、当時は10万石を得ていたという。
写真は本堂左手に建つ経堂で1805年築の宝形造り。

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現在でも約3万㎡という広大な境内を持つ。
広大な敷地には、堀や土塁、豪壮な門構えなど、中世城郭寺院の名残を今に伝える。
写真は鼓堂と塀。
鼓堂は1733年築で、城の櫓のような形をしている。

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写真は納骨堂だが、墳墓のような形で一風変わっている。


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以上見てきた本堂ほか12棟が重文指定されているという豪華な伽藍構成である。
総門、唐門、本堂、経堂、鼓堂、宝堂、式台門ほか本坊部分四棟が指定されている。
写真は勝興寺の七不思議の一つである「水の涸れない池」と、国府跡と伝わる碑。


お知らせ
高岡市のブログはもう一回を残し、さらに羽咋市、富来、金沢寺町と続く。
しかし15日より母の七回忌を兼ねて徳山、神戸の義母宅に約一週間滞在予定なので、しばらくブログはお休みとします。