ようやく目指す勝興寺(しょうこうじ)に到着。
本堂は7年がかりで改修され一般公開されているが、総門と大広間、書院、台所など本坊部分は10年がかりの工事中で入れなかったのが誠に残念である。
ここで受付を済ませて入場。
本堂は7年がかりで改修され一般公開されているが、総門と大広間、書院、台所など本坊部分は10年がかりの工事中で入れなかったのが誠に残念である。
ここで受付を済ませて入場。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/8a/e4/j/o0292038914527145774.jpg?caw=800)
小川が流れ、橋が架けられて唐門(写真)が建っている。
四脚門でなかなか豪華な門である。
この門は1769年に京都興正寺で建築されたもので、明治になってここに移築されたという。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/b4/10/j/o0389029214527145781.jpg?caw=800)
本堂(写真)は40m四方の広大な建物で見る者を圧倒する。
1795年に西本願寺の阿弥陀堂を模して建立されたという。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/d7/a8/j/o0389029214527145792.jpg?caw=800)
浄土真宗本派の寺院であり、山号は雲龍山。
1471年に蓮如が土山御坊を開いたのが始まりで、1584年に現在地に移った。
勝興寺は戦国時代、瑞泉寺と共に越中一向一揆の拠点となった寺院でもあり、当時は10万石を得ていたという。
写真は本堂左手に建つ経堂で1805年築の宝形造り。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/a3/9d/j/o0389029214527145799.jpg?caw=800)
現在でも約3万㎡という広大な境内を持つ。
広大な敷地には、堀や土塁、豪壮な門構えなど、中世城郭寺院の名残を今に伝える。
写真は鼓堂と塀。
鼓堂は1733年築で、城の櫓のような形をしている。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/c0/84/j/o0389029214527145808.jpg?caw=800)
写真は納骨堂だが、墳墓のような形で一風変わっている。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/04/96/j/o0389029214527145816.jpg?caw=800)
以上見てきた本堂ほか12棟が重文指定されているという豪華な伽藍構成である。
総門、唐門、本堂、経堂、鼓堂、宝堂、式台門ほか本坊部分四棟が指定されている。
写真は勝興寺の七不思議の一つである「水の涸れない池」と、国府跡と伝わる碑。
お知らせ
高岡市のブログはもう一回を残し、さらに羽咋市、富来、金沢寺町と続く。
しかし15日より母の七回忌を兼ねて徳山、神戸の義母宅に約一週間滞在予定なので、しばらくブログはお休みとします。
高岡市のブログはもう一回を残し、さらに羽咋市、富来、金沢寺町と続く。
しかし15日より母の七回忌を兼ねて徳山、神戸の義母宅に約一週間滞在予定なので、しばらくブログはお休みとします。