高岡駅から氷見線に乗り伏木に向かう。
電車の中で沿線の名所案内放送を流しており、ローカル線の雰囲気が漂う。
事前では伏木駅に下車の予定であったが、高岡観光案内所で貰ったパンフレットを見ると、伏木の次の越中国分駅に降りて、歩く方が効率的なように見えたので、急遽変更して越中国分駅まで乗ってから下車。

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駅は勿論無人駅であり、駅舎はなく小さな待合室がポツンとあるのみで、遠くに海が望まれる。(写真)
近くには商店など何も見当たらない。
駅を出て、手元の大まかな地図を頼りに415号線を南にと歩いて行く。

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地図で見るよりかなりの距離を歩き、やがて気多神社の案内が見えてきたので右折すると越中国分寺跡に出る。
狭い境内に石仏が並べられ、その中に質素そのものの薬師堂のみが建っていた。(写真)
宗派は高野山真言宗。

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この境内からは瓦や土器が出土し、金堂や塔跡と思われる基壇の土盛が確認されている。
その広さは一万坪におよんだと推定されている。
写真は薬師堂正面。
堂内には平安初期の等身大の神将像が残されている。

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さらに進むと民家は途切れて、山道に入ってゆく。
長い石段の先に文字通り鬱蒼とした樹林の中に気多神社が建っている。(写真)


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先ほども書いたが、越中一之宮はまだ特定されていないが、ここ気多神社は候補四社のうちの最有力の一つである。
祭神は大山貴命、奴奈加波比売命。
717年に能登気多神社から勧請。(明日訪ねる予定)
社殿は思っていたよりも新しい。(写真)

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本殿(写真)は永禄年間(1558~68年)に再建されたもので重文指定。
三間社流造杮葺であるが、実に簡素かつ風格のある造りで、彫刻などはほとんどない。


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また社殿の左には大伴神社がある。(写真)
越中国司であった大伴家持を祀り、1985年に家持死去1200年を顕彰して創建されたという。


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また境内の一角に大伴家持の「越中三賦象型石」がある。
家持が越中の風土の違いを都に伝えたいとして、越中を代表する「二上山」「布勢の水海」「立山」の三つの景観を「越中三賦」としてまとめた。
後年、これを偲び顕彰碑を立てて、横に「越中三賦」を模った石を配したもの。(写真)

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また社殿右手に行くと、「越中国総社跡伝承地」がある。(写真)
まばらな樹木の中、苔が生えたところに鳥居が建っているのみである。
この日はたまたま二組の参拝者があったから良いが、全くの森閑とした樹木の中であり、1人でいると怖くなるような雰囲気が漂っていた。