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車は南に向かって走り、高畠町のシンボルでもある「亀岡の文殊様」と呼ばれる大聖寺に到着。
仁王門は柱のみ朱が塗られている。(写真)
両横に仁王像が立っていた。

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境内は広く二万坪と、境内続きに山林六十余町を有するという。
参道は石畳が続き、石像がどこまでも続く。
この石は大谷石に似た石であり、安久津八幡の参道、石碑にも使われている。
地元で取れる石材とのこと。
写真は参道からの景色。

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参道の途中の右手に古い鐘楼が建っている。(写真)
その廻りには石仏が取り囲んでいた。


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文殊堂(写真)は807年に、法相宗の徳一が創建。
皇室の勅願所として国家安穏の祈祷をしていた。
またこの亀岡文殊は、奈良の安倍文殊、丹後の切戸文殊と共に日本三文殊とされる。
私は偶然にもこの4月に奈良の安倍文殊を訪ね、また丹後の切戸文殊も訪ねているので、短期間のあいだに三文殊を廻ったことになる。
今から知恵を授かっても、時すでに遅しではあるが。

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また文殊堂の右手には優美な造りの観音堂が建っている。(写真)
真言宗智山派の寺院で、山号は松高山。
毎年1月25日は「星祭り」が沢山の信者を集めて盛大に行われるとのこと。

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写真は文殊堂裏の高台にある蔵王大士堂。


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ここまで来たらモノはついでということもあり、最後に大聖寺からさらに南にある高房神社を訪ねる。
ここの石鳥居が有名である。
1538年の銘があり、以前訪ねた山形市郊外でも見たが、この地方特有の太い石鳥居は実に安定感がある。(写真)

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祭神は武甕槌神、経津主神。
説明板によると、藤原北家出身の高房が出羽守で当地に赴任し、旱魃と戦争で苦しんでいた村人を善政で助けたため、842年に石祠を祀ったのが始まりとある。
写真は本殿。
なおすぐ隣は真言宗智山派の和光山萬徳寺であった。

高畠駅に戻るが、電車の時間まで40分ある。
駅構内に温泉があり、入ろうかと思ったが、目の前を浮浪者風の人が入ってゆかれたので、気遅れしてしまった。
待合室でゆっくりと休み、一日の疲れを取る。

電車で米沢駅に下車。
ここには昨年来たばかりなので、勝手知った物産店で、ジャム、ソーセージなどを詰め合わせて、女房殿に罪滅ぼしを兼ねて送る。
ところが「さくらんぼ佐藤錦」は品薄で30粒1000円で僅か三箱のみ売っていた。
東京に帰ってからスーパーに行くと、その倍の量なのに300円である。
産地の方の値段が高いというのはおかしいな。
折角、山形のブランド品として定着したのに、こんなことをしていては観光客から早晩飽きられてしまうのではと人ごとながら心配になる。

福島駅廻りで仙台に到着したのが17時10分。
待っていた仙台在住の弟と姪の三人で会食、というか痛飲する。
二次会にカラオケまで行ってしまい、久しぶりに仙台の夜を堪能した。