94満願寺
宗派 真言宗智山派
山号 致航山
創建 平安時代末期
本尊 大日如来
住所 等々力3-15-1
宗派 真言宗智山派
山号 致航山
創建 平安時代末期
本尊 大日如来
住所 等々力3-15-1
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/cb/3e/j/o0389029214527144262.jpg?caw=800)
玉川神社の裏参道から出るとかなり広い緑地があるが、満願寺の境外地であり樹木の中、地蔵堂が建っている。(写真)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/9a/3c/j/o0389029214527144268.jpg?caw=800)
満願寺山門前は新しく造成されて、京都風な庭園になっている。(写真)
1470年に吉良氏によって中興開基された。
江戸期には常法談林所として発展し、13石の朱印寺。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/9e/cd/j/o0389029214527144277.jpg?caw=800)
境内もすべて新しくかつ整然とした書院風な本堂(写真)、講堂、庫裏などが建つがいずれも鉄筋造り。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/18/80/j/o0389029214527144283.jpg?caw=800)
本堂右奥に1990年落成の大塔が見える。(写真)
裏に廻って墓地の中から訪ねてみたが大塔には近づけず、またその姿も見当たらなかったのが残念。
また一言地蔵像は講堂に安置されているとのこと。
道を隔てた瑠璃光院に薬師如来を祀る。
この満願寺の別院が等々力不動尊であることは、今回初めて知った。
よって等々力不動尊は満願寺に含めることとする。
道を隔てた瑠璃光院に薬師如来を祀る。
この満願寺の別院が等々力不動尊であることは、今回初めて知った。
よって等々力不動尊は満願寺に含めることとする。
等々力不動堂
山号 瀧轟山
創建 根来寺を開いた興教大師が不動堂を建てたのが始まり
住所 等々力1-22-47
山号 瀧轟山
創建 根来寺を開いた興教大師が不動堂を建てたのが始まり
住所 等々力1-22-47
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/bf/22/j/o0389029214527144288.jpg?caw=800)
境内は5000坪あり起伏に富み、等々力渓谷の一部を占めている。
山門は満願寺の旧門を移築したもの。(写真)
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/39/c9/j/o0389029214527144292.jpg?caw=800)
土曜日で天気の良いこともあり、境内は多くの人で大変な賑わいであった。
翼殿を持つ本堂(写真)、太子堂、弁天堂、稚児大師、稲荷、宝珠閣、客殿。
懸け造り風の舞台が張りだしているが、残念ながら等々力渓谷は見えなかった。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/4f/ab/j/o0389029214527144298.jpg?caw=800)
樹木の中の石段を降りて行くと等々力渓谷に至り、そこに不動の瀧がある。(写真)
現在の水量は少ないが、二筋の瀧が落ちている。
都会の喧騒の中に、この渓谷は深い樹木に覆われて自然の瀧があるし、また夏でもひんやりとしており、とても大都会のど真ん中とは思えない。
この日も約2時間歩いたことになり、ここで本日の寺社巡りは終了とした。
ゴルフ橋を上がり等々力駅に。
このあと自由が丘に出て、「鳥仙花」にて反省会をする。
過日の「若狭・丹後の旅」が実に楽しかったので、また修学旅行をすることを決めて散会。
ゴルフ橋を上がり等々力駅に。
このあと自由が丘に出て、「鳥仙花」にて反省会をする。
過日の「若狭・丹後の旅」が実に楽しかったので、また修学旅行をすることを決めて散会。
閑話休題
明日から二泊三日で、鶴岡、高畠、仙台、白石を巡る一人旅に出るので、しばらくのお休みとなります。
明日から二泊三日で、鶴岡、高畠、仙台、白石を巡る一人旅に出るので、しばらくのお休みとなります。