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さらに気比の松原に向かう途中、敦賀城址が一部残っているという真願寺に立ち寄る。
白壁があるので元城郭かと思ったが違っており、境内に礎石が残っているのみとのこと。
写真は山門と石碑。

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敦賀城は戦国の悲劇の武将大谷吉継が築城したが、後に取り壊された。
真願寺は真宗大谷派の寺院。
境内は花が咲き乱れ、その先に本堂が立っていた。(写真)

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「気比の松原(写真)」は「三保の松原」、「虹の松原」と共に、日本三大松原とされる。
極めて長い美しい海岸線を持つ。
長さは1,5m、広さは40万㎡あり、クロマツは減少したとはいえ17000本あるという。

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さらにここも予定外であるが、武田耕雲斎の墓があるというので立ち寄る。(写真)
水戸藩の烈士が天狗党と名乗りここまで来たが、幕府軍に降伏。
耕雲斎もここで斬首された。
実は先月末に水戸を訪ねた折、桂岸寺の墓地、石岡市での出発の地などの天狗党に関する史跡を見てきたので、はるか離れたここ異郷の地での最後を見るにつけ感無量である。

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さらに隣に松原神社がある。
「気比の松原」近くにあるので松の木が多い。(写真)
小さいながら、舞殿、拝殿、本殿が並んで建っていた。

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ここに「ニシン蔵」が保存されており(写真)、天狗党の烈士達は降伏した後、この「ニシン蔵」16棟に押し込まれていたという。
そして353人が斬首された、哀しい歴史の生き証人である。