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続いては金ケ崎城址にある金ケ崎宮と金前寺を訪ねた。
金前寺は高野山真言宗の寺院で、山号は誓法山。
聖武天皇の霊夢によって736年に開創されたという。
本堂横には小型、と言っても9,8mの五重塔婆が建っていた。(写真)

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また1689年に芭蕉が立ち寄り
「月いずこ 鐘は沈る うみのそこ」と詠んだ。
そのため1761年に有志により鐘塚を建立した。(写真)

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金前寺横の細い参道を登ってゆくと金ケ崎宮がある。(写真)
祭神は金ケ崎城で戦死した御醍醐天皇の御子である尊良親王、恒良親王。


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境内はそんなに広くはないが、どこか風情がある。
写真は社殿。


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さらに山道を登って鴎ケ崎展望台まで行く。
1336年に新田義貞が恒良親王、尊良親王を守護して足利軍と戦った古戦場。
また1570年には、信長が朝倉攻めに失敗し、秀吉がしんがりを務めたところでもある。
ここからは敦賀湾が一望できる景勝地。
写真は日本海冬景色。

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すぐ上に尊良親王墓所見込地というややこしい案内がある。(写真)
ここで戦死した親王の墓所だと考えていたが、京都の大徳寺にあったので、落城時の自刃の地であろうとのこと。

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時間の関係もあるので、ここから先には登らず来た道を下ってゆく。
途中、茂みの中に神社があったので立ち寄ると、摂社愛宕神社であった。(写真)