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続いて地図に出ている艸墓古墳を探すが、これまた判りにくく、民家の間の畦道のようなところを抜けるとポツンと古墳があった。
7世紀前半に築かれた方墳で、横穴式石室がポッカリ口を開いていた。(写真)

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さらに緩やかな坂道を登り降りしたところが安倍文殊堂である。
645年に安倍一族の本拠地であったここに、左大臣安倍倉梯麻呂が氏寺として安倍寺を建立したのがはじまり。
当時は法隆寺式七堂伽藍配置の大寺院であったとのこと。
入った近の白山堂は室町時代に建てられ、流造杮葺で唐破風を付けた社殿であり、重文指定(写真)。

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境内の中央には文殊池があり、その中に金閣浮御堂が建っている。(写真)
写真で御馴染の光景である。
ちょうど桜が散って、池は花筏になっているので、残念ながら池に映る浮御堂は見れなかった。

さらに小高い丘に登ると、文殊池が一望でき、そこには安倍清明を祀る清明堂がある。
これは平成12年に再建されたもの。
安倍清明は当山で生まれた。

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本堂は1665年に再建され、前面に礼堂(能舞台)を従えている。(写真)
ちょうど快慶作の本尊文殊師利善菩薩像が特別公開(700円、抹茶付き)されていた。
今回は文殊像が騎獅像から降ろされて、より見やすいように前面に安置されている。
全体の高さは7m、日本最大であり重文指定。
さらに今にも歩きだしそうな善財童子像は童顔で実に微笑ましい。
ほかに優填王像、須菩薩像、維摩居士像などが並びいずれも重文指定されている。

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丹波の智恩寺、奥州亀岡の大聖寺と共に日本三大文殊霊場。
この丹波の智恩寺には6日後に訪ねる予定になっているのはこれまた奇遇である。
本堂前から灯篭が並ぶ参道を歩いて行くと、朱色の山門に至る。(写真)

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ここから近い安倍寺跡を探して行く。
今は公園となっている広場の中に講堂と塔との土壇のみが残っていた。(写真)


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ここから桜井の町の中を抜けて駅まで歩いて行く。
駅近くで遅い昼食をとお店を探すが、なかなか見当たらず北口に廻り、「いにしえ茶屋」という古風な名前のお店に入る。
名前に似ず、居酒屋兼食堂兼酒屋兼お土産屋である。
といっても店内にはテーブルは四席しかない。
「抹茶ぶっかけそーめん」と「かやく御飯ソーメンセット」(写真)を注文。
味はマアマアといったところ。

この後、飛鳥を歩こうかと思っていたが、既に14時を過ぎており、女房殿が昨日の神醍醐の石段で痛めた足をひきずっているので、本日はここまでにする。
京都駅に戻り、夕食にお好み焼きを食べて帰京し、今回の旅を終える。

これまで春秋に京都見物を恒例にしていたが、今回で終了して、これからは別の季節に行くことで女房殿と合意。