バス通りに出て、名谷方面に向かって続く道をただただひたすら歩いて行く。
高速道路のガードを越えると左に、転法輪寺への道標が建っていた。

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ここからが参道であり、未舗装の坂道を登って行く。(写真)
参道口には真新しい地蔵堂が建っていた。
この辺りは原生林が広がり広さは一万㎡、巡礼をしているような気分になる。
眼前がひらけて、だだっ広い境内に到着。
まず手入れの素晴らしい立派な庫裏が迎えてくれる。

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転法輪寺は平城天皇の病気治癒のため、806年に西尊上人が開山、在原行平により創建とある。
元は大同寺と言っていたが、910年に改称した。
江戸期には三重塔、宿坊などがあり栄えていたが、その後荒廃。
近年になって再建等がはじまり、昭和61年に本堂、太子堂、弁天堂などが立てられたとのこと。
写真は全景、中央に見えるのが本堂。

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山号は龍華山、高野山真言宗の寺院。
なお本尊の阿弥陀如来像は重文。
境内は随分広く、中央に本堂、その左右に太子堂と不動明王堂が建つ。
また鐘楼、弁財天堂などがゆったりと並んでいる。
写真は本堂と不動明王堂。

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さらに左手は元の遺跡跡であろうか広場になっており、真新しい釈迦堂がポツンと建っていた。(写真)
なにしろこの広い境内に人っ子一人として見当たらず、正直言ってなんだか薄気味悪くなってきた。


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弁天堂横から坂道があり、登ってゆくと観音堂が離れて建っていた。(写真)


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参道まで戻り、バス通りを名谷駅方面に歩いて行く。
福田川に架かる橋を渡り大歳神社を訪ねた。
ここも石段を登った高台に社殿は建っている(写真)。
安産祈願でかなりの人がお参りするとのこと。
新しい社殿は昭和49年の再建。
社殿左には大龍王、八幡宮、天満宮、右には天照大神宮、稲荷社などの末社がある。

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この辺りの地形は福田川に向かっての急斜面に、段々状に民家が建っており、その間を九十九折りに登って行くと、ようやく目指す石水寺の屋根が見えホッとする。
写真は山門。

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近づいてゆくと思ったよりも狭い境内に本堂ほかのお堂がひっそりと立つ。
石水寺は山号を円通山、臨済宗南禅寺派の寺院。
横の通用門を押して入ると、片隅に平師盛の墓(写真)があり、説明板が付いている。
それによると平師盛は平重盛の第五子で、一ノ谷合戦で討死にしたためここに葬られているとのこと。

万歩計を見るとすでに2万歩を越えており疲れもドッと出てきたので、名谷駅まで二駅ではあるが、奥畑よりバスに乗る。

カキツバタの季節に多聞寺をもう一度訪ねてみたいし、転法輪寺のいかにも大寺風の広い境内も印象に残った一日であった。