16日から一週間、夫婦で神戸の義母宅に出かけた。
例によって例の如く、私自身は一足早く出発して彦根の寺社巡りをすることにした。
米原駅から東海道線に乗り換えて、彦根駅に11時に到着。
彦根にはいままでに三度ばかり来ており、いつも彦根城中心の観光であったが、今回は寺社巡りのみに絞ることにした。

観光案内所を訪ねアドバイスに従って、まずタクシーで長寿院を訪ねて、あとは市内の主だった寺社を歩くことにした。
乗ったタクシーはこのあと訪ねる予定の龍潭寺の前から、竹林の間の坂道を登ってゆき佐和山中腹にある長寿院に到着。料金は850円くらい。

長寿院はむしろ大洞弁財天と言ったほうが通りが良く、事実タクシーの運転手さんも長寿院では通じなかったほどである。
正直言って、彦根の寺社巡りでは龍潭寺を期待していたが、何の何のこの長寿院が一番の見どころだと、今では確信を持って言える。

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長寿院は山号を大洞山、真言宗醍醐寺派の寺院。
彦根城の表鬼門に当り、四代藩主井伊道興が開創。
全住民と藩財により造られた。
正式な参道は西側の東海道線寄りにあり、鳥居、総門があり、見事に苔むした急石段を登ってゆくと楼門がある。(写真)

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楼門は二天門であり、表には毘沙門天、堅牢地神、裏には白狐が、また楼上には大黒天4000体が安置されている。
写真の楼門は境内の中から写したもの。

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本堂は弁財天堂であり(写真)、1696年の建立で重文指定。
桁行五間、梁間四間で、本堂、石の間、礼堂からなり、寺院では珍しい権現造り。
拝殿正面の彫り物も素晴らしい。
なにしろ境内には人っ子一人見当たらず、静寂そのもの。
山寺の古刹といった言葉がぴったりする良い雰囲気である。

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本堂内に入り拝観。
思ったよりも大きく6尺はあろうかという弁財天像にびっくり。(写真)
また脇侍として十五童子を安置している。
堂内は極彩色で見事であり、欄間は透かし彫りで、「彦根の奥日光」とも称される。

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本堂の右側にも立派なお堂が建っており、本堂と見間違うほど。
阿弥陀堂でり江戸期の建立(写真)。


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また本堂の左手には校倉造の宝蔵(写真)と、普通の宝蔵が並んで建っていた。


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本堂の裏側には奥内宮の白蛇殿がある。
さらに石段を登ってゆくと、奥の院が静寂の中にひっそりと建っている。(写真)
安永年間、城中の火災の類焼を免れた報恩に建てられた。
彩色された彫刻が見事。

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タクシーで登ってきた竹林の中の坂道を歩いて下って行くとポツンと立派な経堂が建っている。(写真)
輪転経堂で、四隅には大黒天一万体が安置されているという。