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若林家住宅の隣には「おしゃぎり会館」がある。
村上では祭りに曳き回される山車のことを「おしゃぎり」と呼んでいる。
この会館では山車を三台展示していた。
村上大祭は1633年に羽黒神社を当地に遷宮し、城下の繁栄を祈って始まった。
毎年7月7日に三基の神輿と19台のおしゃぎりが旧町人町を練り歩く。
この「おしゃぎり」の色彩豊かな豪華さには目を見張るばかりである。(写真)

「おしゃぎり会館」を出て、村上市のメインストリートである旧町人町に向かう。
まずは腹ごしらえと「るりはり」に入り、一番簡単なカレーライスを食べる。
豆が入っておりなかなかの美味であった。

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昼食後、すぐ近くの浄念寺を訪ねる。
創建は明応年間(1492~1500年)とされている。
山門は新しく、また除雪がされていないので本堂には近づけなかった。
写真は山門と境内全景。

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この寺は1818年建立の白壁土蔵造りの本堂(重文・写真)で有名である。
思っていたよりも大きく梁間9間、桁間11間あり、これは丈六の阿弥陀如来像に合わせたためで土蔵造りでは日本一大きいとのこと。
また当寺には芭蕉と曽良が参詣したという。

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続いてなかなか情緒のある黒塀通りを歩いて行くと、安善寺があった。
山号は三藤山、真宗大谷派の寺院。
立派な山門のみが目立つ(写真)。

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旧町人町の町屋通りにさしかかった頃より雷鳴がとどろき、雨が降り出してきた。
そんな中、とりあえず鮭塩引き街道を見に行く。
古い町屋の軒先にずらりと鮭がぶら下げてある(写真)。

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雷さんにせかされながら町屋通りを南に歩いて行く。
写真はその町屋の一つだが、隣にクラシックカーが停まっており、これまた良く似合う(写真)。
この町屋は吉永小百合のポスターにも使われていた。

ここら辺りから雨がより強くなったため、同行の三人は駅に向かい、私一人で南の羽黒町の寺社を訪ねるため別れる。

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一人になって最初に訪ねたのは藤基神社である。
祭神は八幡大神、誉田大神、火帯姫神、稲荷大神、倉稲魂神、秋葉大神、火産霊神、菅原道真と共に、藩主の内藤信成、10代信敦、11代信思が祀られているので、入り口の門も寺院のようである。(写真)

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境内は広く、一面の雪の中、一筋だけ踏み固めた道が続く。
回廊を廻らし、その中に雪囲いをした社殿が立っていた。(写真)
創建は1849年。
もっとゆっくり見たいのだが、雨が一段と激しく降り出してきた。

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さらにどうしても訪ねておきたかった羽黒神社を目指す。
雨の中、ようやくたどり着くも、長い石段が続き、二人の方が途中まで雪かきをされている最中(写真)。
除雪はまだしばらくかかりそうなので、残念ながら社殿は見ずに駅に引き返すことにした。

雨脚は一段と激しくなり、その上強風まで吹き荒れて大変な天気になってきた。
昨日から二日間、運が良くてどうにか回ることができたが、最後の最後にまとめて北国の厳しい洗礼を受けることになった。
雪解けに大雨だから、道路は川のようになり、靴の中に容赦なく水が入り込んでくる。
ようやくのこと村上駅に到着、
見ると先発した女房達もずぶぬれになったとのこと。
女性軍の手際良い奮闘により靴下を履き替え、どうにか人心地をつく。
電車を乗り継ぎ帰京する。