22日から一泊で新潟県村上市瀬波温泉に、「武蔵野の君」ご夫妻と忘年会を兼ねて行ってきた。
直前の一週間、新潟は28年ぶりの大雪にみまわれたため、耐寒完全武装で出かけることにした。
しかし22日から寒気団は去り、この二日間は雨の予報に変わっていた。
新幹線で関越トンネルを抜けると一面の雪景色だが、考えていたほどには積っていなくて一安心する。

今回の旅は大雪と寒さを予想して寺社廻りは半分諦めていたが、この雪の状況を目の当たりに見て、また観光案内所に電話をすると大丈夫とのことなので、村上駅の手前の坂町駅で下車し乙宝寺を訪ねることにした。

イメージ 1
駅前から雨模様の中、タクシーで乙宝寺を目指す。
一面の銀世界の中、乙宝寺に着くとなんと奇跡的に雨は中断した。
いつもの女房殿の「へんなまじない」が利いたのであろうか。
写真は境内入り口。

イメージ 2
乙宝寺は736年、聖武天皇の勅願により行基菩薩と婆羅門僧正が開基と伝わる古刹である。
また「今昔物語」「古今著聞集」などにいろいろ伝説も出てくる。
仁王門は1745年の建立で三間一戸。(写真)

イメージ 3
左右にある蓮池の右側には弁天堂が建っている(写真)。
1668年の建立と古く、雪のため隠れているが茅葺である。
またトイレは「浮世散楼舎」とあり、優雅で微笑ましい。

イメージ 4
山門を入ると右手にシンボルの三重塔が建っている(写真)。
村上城主村上義明が願主になり1620年に建立された。
高さは24,2mで重文指定。
純和風で均整がとれた誠に美しい塔である。

イメージ 5
さらに「どっこん水」の手水場があり、正面に大日堂(写真)が建つ。
乙宝寺は猿供養寺、乙寺とも呼ばれている。
「乙」は御釈迦様の左目を納めたことを意味すると伝わる。

イメージ 6
左手に袴腰鐘楼、右手には地蔵堂、観音堂(写真)がある。
観音堂は1803年の建立で小さいめ。


イメージ 7
大日堂から左に行くと六角堂、さらには新本堂(写真)、客殿などが建っていたが一部まだ工事中であった。
なお宗派は真言宗智山派。
中世には上杉家から300石、江戸期には村上家から100石の寺領を受けていた。
芭蕉も当寺に立ち寄ったとされており句碑もある。

イメージ 8
また大日堂の左手には鳥居と石段の参道があり、八所神社がある(写真)。
祭神は宮中八柱(神産霊神、生産霊神、高皇産霊神、足産霊神、玉積留産霊神、大宮女神、御食津神、事代主神)と天照皇大神。
「延喜式」にある「市川神社」に当るという説もある。
社殿は1620年の建築だが、すべて覆殿になっている。

雨も止んだので広い境内をゆっくり回ることができて感謝、また感謝。
ただ雪が深く残っている場所が多く、歩ける場所は限定されていたが。
タクシーに乗り坂町駅に戻るが、また雨が強く降り出した。
このあと電車で村上駅に向かう。

村上市と言えば、昔馴染みの新宿の「砂々良」の亡きママの出身地と聞いていた。
この日の夜、マスターに電話をすると、ママの生まれ故郷はなんと坂町とのこと。
坂町の鄙びた風景と、ママのエキゾチックな顔と人柄を瞼に重ね合わせて、なるほどと一人納得する。