昼食後、バスは小国神社を目指して走るが、2,5km手前から酷い渋滞となる。
連休の中日であり天気もまずまず、高速代1000円とあっては止むをを得ないか。

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小国神社は三年前に一度訪ねたことがある。
その時、大洞院と共に紅葉の季節はさぞ美しいだろうと思った。
しかしこの日の参道の紅葉はまだ2~3分といったところ。
参道左手の事待池の太鼓橋が紅葉に染まる景色を想像していたが、まだまだ1分といったところで残念(写真)。

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前回も感じたのだが、大社造りの舞殿、拝殿、神楽殿が一直線上にあり、いずれも杮葺(写真)で見映えが良い。
残念ながら明治15年の火災で焼け、現在の社殿は明治19年に再建されたもの。
小国神社の祭神は大己貴命、創紀は555年、神代の時代に遡る古社である。
江戸期には590石の朱印寺。

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社殿の右手には清流宮川が流れ、ここの両側の散策路は紅葉が美しく色づいていた(写真)。
現在でも境内地は30万坪に及ぶ広大なもので、神代杉などが鬱蒼として茂っている。


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参道には摂社末社がならんでいる。
八王子社、並宮、塩井神社、全国一宮等合殿社(73柱を祀る)、宗像社等々で、建造物は50余数あるとのこと。
写真は参道脇の八王子社と事待池。

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そろそろ夕暮れが近づく中、予定よりもかなり時間をオーバーして、最後の法多山にようやく到着。
桃山時代の遺風を残す三間一戸の重厚な仁王門は重文指定されている。(写真)。
正式には尊永寺、高野山真言宗の別格本山。
聖武天皇の勅命を受けて、ここも行基が725年に開基。
江戸時代には5万石の朱印を受けていた。

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仁王門をはいってから、左手の本坊前に黒門がある(写真)。
四脚門でなかなか趣があり18世紀初頭の建立。
黒門の中は本坊で、手入れされた植栽が見事。
しかしここの参道の長いこと長いこと。
しばらく歩くと、今度は280段の石段が待っていた。

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石段を登りつめると、広場があり鉄筋造りの堂宇がずらりと並んでいる。
新しいだけに整然としているが、私には少し物足りない。
本堂は昭和58年の建立で間口10間、奥行15間と大きい(写真)。
本尊正観世音菩薩は厄除け観音として名高い。

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本堂左には真新しい大師堂が、右手には白山堂、北谷寺が建っている。
北谷寺は旧本堂である。
写真は境内の様子。左から弁財天堂、氷室堂、薬師堂。

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帰りに参道途中にある「だんご茶屋」に立ち寄り、ここの名物である「厄除団子」(写真)を頂く。
1854年に江戸城登城の土産に添えられたのがはじまりという。
甘くなく、辛党の私でも美味しく頂いた。
ここの従業員は4時半を過ぎると、客を追いたてるように店じまいにとりかかるのが残念。

辺りが薄暗くなってきた17時にバスは法多山を出発して帰途につく。
東名に入ると、事故渋滞の情報。
バスは国道一号線に出て箱根越え、それでも21時に無事、溝の口駅前に到着。
以前から遠州三山は是非訪ねてみたいとおもっていたが、ようやく念願が叶った。
私の評価は期待し過ぎたため、まずまずというところ。