22日、クラブツーリズムの日帰り「遠州三山の紅葉バスツァー」に、「武蔵野の君」夫妻と参加した。
天気予報では雨模様とのことであったが、女性群の怪しげなまじないが通じたのか、はたまた私の日頃の行いが良いのか、幸い曇天のまま雨に遭わずにすんだ。

昨年もこのツァーに申し込んでいたが、私の大腸ガン手術でキャンセルしたという、いわくつきのツァーでもある。

早朝7時15分に武蔵小杉駅前からバスはスタート。
溝の口駅前で「武蔵野の君」夫妻他の参加者と合流。
この日は三連休の真ん中の日曜日でもあり、東名はかなり混んでおり帰りの到着時間が心配になる。
最初に訪ねたのは可睡斎。

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可睡斎は山号を萬松山、1401年に開創された曹洞宗の古刹である。
変わった寺名だが、十一代住職が家康に招かれた席で居眠りをしてしまった。
それを見た家康が「睡る可し」と言ったことより、それまでの東陽軒という寺号より可睡斎と改めたといういわれを持つ。
写真は山門。

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この山門の天井には円形の板が貼られており、十二支の絵が描かれており珍しい(写真)。


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江戸時代には「東海大僧録」として東海地区の寺院の總元締めであり、禅の大道場であった。
また幕府より10万石という破格の待遇を受けていた。
正面に本堂(写真)、右に大書院がある。

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また本堂の左にはかなり大きい伽藍である座禅堂、さらには六角堂が建っている。
紅葉も見ごろなのでパチリ(写真)。


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さらに本堂の右奥に御真殿(写真)があり、秋葉三尺坊大権現が祀られている。
ここのお堂の扁額はまばゆいばかりの金色である。
この秋葉三尺坊は火防・火の用心の霊験あらたかとして、江戸時代から火防の祈祷霊場として秋葉信仰が盛んであった。
元は秋葉寺に祀られていたが、明治6年に廃寺となり、ここ可睡斎に遷座された。
お参りしていると突然、大声明が響き渡ってきた。
臨場感満点である。

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山門を出てふと見ると、境内の左手の小高い丘に向けて無数の幟がたっている。
上ってゆくと酒塚観音が祀られ、また風情ある弁天堂(写真)もある。
なお春には牡丹の名所として名高い。

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境内の左手の道を歩いてゆくと方丈池が広がり公園のようになっている(写真)。
真中に魚藍観音像が立っていた。


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歩いてバスに戻る途中、山門前に東陽軒というお堂がある。
可睡斎と改名する前は東陽軒という寺名であった。
その跡地に観音堂を移築したもの。
お堂前に二体の仏像が置かれ、唇などに一部彩色が残っており艶めかしい(写真)。