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続いてはいよいよ瑞龍寺を訪ねる。
前田家二代藩主前田利長は義弟利常に藩主の座を譲り、この高岡に築城してこの地で亡くなった。
三代藩主利常は恩を感じて、利長のために約20年をかけて1663年に瑞龍寺を造営させた。
写真は総門と、門前の様子。
正面三間の薬医門で正保年間の建立、重文指定。

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建設当時の寺域は3万6千坪で、周囲には堀が廻らされていたという。
国宝指定の山門(写真)は1645年に建立されたが、焼失したため1820年に再建されたもの。
二重二階の造りで、左右には山廊が付いている。
白い砂利が敷き詰められて、荘厳さと静謐さが漂よい、観る者を圧倒する。

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山門を入ると手入れされた芝生の中、正面に仏殿(写真)が建つ。
1659年に建立され、屋根は鉛板葺という珍しいもの。
總欅造り、屋根を二つ重ねた一重裳腰付きの外観で、国宝指定されている。

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総門、山門、仏殿、法堂が一直線上に並んでおり、左右に諸堂がならび回廊で結ばれているという、典型的な禅宗様式の伽藍配置である。
写真は右手の大庫裏(重文)の先に鐘楼があり、回廊(重文)が繋いでいる。
なお法堂の左には禅堂(重文)がある。

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さらに一番奥に法堂(写真)が建っている。
1655年の建立で建坪186坪の總檜造り、国宝指定。
左右に並ぶ三室を前後二列に配し、合計六室の部屋を並べた方丈様式と呼ばれる。
一番前面に土間を持ち、この土間が回廊に続いているのが特徴
なお山号は高岡山、曹洞宗の寺院。

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また法堂の左手の庭に、石廟が五基ならんでいる。
利長、利家の廟と共に、織田信長、側室、その子信忠を祀る。
利長は本能寺の変後、信長父子の分骨を迎えて霊を慰めたと伝えられている。
写真は信長の石廟。