一度は訪ねてみたいと思っていた安土城址であるが、路に迷いながらようやくたどり着いた。
云わずと知れた信長が天下統一を目標に1576年、標高199mの安土山に築城。
五層七階の天主は他に類がなく、また内部の豪華絢爛さは宣教師ルイス・フロイスの書により広く知られているところである。
再現された天主はすでに「信長の館」にて見てきた。

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安土城址の大手門跡から続く石段の幅は広く、また登るにつれて段差の大きい石段になっている(写真)。
そのため段々と脚が上がらなくなり、脚の疲れも尋常ではない。
登ってゆく人は一様に溜息をつきながら、休み休み登って行く。

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登り始めてすぐ左手に羽柴秀吉邸跡がある(写真)。
大手門からかなり近くにあるのは、まだまだ家臣の中で地位が低かったからであろうか。はたまた例の如く、一番に城を守る場所を自ら選んだのであろうか。
しばし往時の秀吉の面影を追う。
続いて摠見寺が徳川家康邸の跡地に再建されているが、この時間すでに閉門されていた。

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石段は左右に曲がりくねりながら、どこまでも続く。
前を登っていた中年の夫婦も途中でダウン。
私もかなり脚が上がらなくなってきたが、水分を取りながらゆっくりと登ることに。
ようやくにして二の丸跡に到着。
ここには信長公本廟が祀られていた(写真)。
一代の風雲児信長らしい質素な廟に感無量。

どうにか天主跡にたどり着く。思ったよりも狭く東西、南北にそれぞれ28mの台地。
何もなく今は礎石が1,2mおきに点々とかつ整然と並ぶのみ。
帰りの石段を降りるのも一苦労であった。

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帰りは途中から右手に折れて、三重塔、二王門を通って降りてゆく。
三重塔は、方三間で瓦葺(写真)。
1454年の建立で甲賀の長寿寺(懐かしい)から移築したもの。
重文指定されている。

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三重塔の真ん前は台地になっており、摠見寺本堂跡と言われる。
ここから琵琶湖が一望できる(写真)。


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さらに石段を下り、ようやく二王門に出る。
棟木には1571年建立とあり、やはり信長が甲賀から移したとされる。
信長は寺院を焼き払うだけでなく、良いものは勝手に取り上げもしたようだ。
なおこの二天門は、安置されている金剛力士像と共に、重文指定されている。

元の受付のところまで戻ると、電車の時間まであと一時間余りある。
それならばと、安土城址からタクシーを呼び沙沙貴神社、浄厳院に向かう。
その途中、喜多川湧水と、伊庭家住宅に立ち寄る。

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喜多川湧水は、円満地蔵尊の足元から湧き出て、清らかな流れとなっている。
写真はその清水で、上に少し写っているのがお堂。
この清水でお茶を点てたというのは運転手の弁。