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観音正寺からの山道を辿り、ようやくのこと桑実寺の大師堂に到着(写真)。
このお堂は立て札によると天正4年に織田信長が造立とあり、大正2年に経堂として再建されたとの由。
中には大蔵経ほか定恵和尚尊像、釈迦如来、聖徳太子像などが安置されている。

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そのすぐ下に鎮守三社の祠が並んで祀られている(写真)。
小さな立て札には天和元年(1681年)建立で、「スサノオの妃、大黒天、スサノオの命」を祀ると書かれていた。

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木造本堂は、入母屋造り桧皮葺で屋根の反りが美しい(写真)。
この辺りでは珍しい南北朝時代に建立されたままの姿を今に残し、重文指定されている。
内部は質素な造りで、住職さんからは、自由に拝観してくださいと大らかなもの。
内陣には1483年に造られた大日如来像が安置されていた。

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白鳳6年に天智天皇の勅願寺として創建された格式ある寺院でもある。
往時には二院十六坊の僧坊があり、足利十二代将軍義晴が三年間、仮幕府を開いていた。
桑実(くわのみ)寺の名前は、開山の定恵和尚が中国より桑の木を持ちかえり、この地に日本で最初に養蚕技術を広められたことに由来する。
また山号の繖山(きぬがさやま)も、蚕が口から糸を散らしてマユを懸けることにちなんだものとのこと。
宗派は天台宗で山号はずばり繖山。
写真は外陣。

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帰りは長く急な「乱れ石段」を下ってゆく。
下ってゆくのも大変だったが、この参道を登って来るのもかなりキツイであろう。
途中、地蔵堂を通り、山門に至る(写真)。
實に素朴な山寺との印象が残る。

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ようやく安土町に出る。
右手に近代的な建物が並んだ文芸の郷が見えてきた。
県立安土城考古博物館を中心に信長の館、文芸セミナリオの他、洒落たレストランなどがまとまって建っており、一帯は公園になっている。
写真はコスモス畑から考古博物館(中央)などを写した。

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まず信長の館に入る。
ここのメインは、スペイン・セビリア万博の日本館に展示するため、原寸大で復元された安土城の天守5,6階部分がそのまま展示されている。
写真はその6F部分。

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絢爛たる色彩美と意匠の美しさに圧倒される。
写真は5Fの内部の様子。
その他、当時の食膳などが展示されていて面白い。

続いて考古博物館を訪ねた。
安土瓢箪山古墳の出土品、また安土城と信長についての展示などの常設館と共に、特別展として戦国時代の各城郭展が行われていた。

博物館の女の子に、安土城址に行く路を聞くが要領を得ない。
二度三度と路に迷いながら稲穂の田畑の中を歩いてようやくのこと辿り着いた。