9月19日、いつもの仲間四人で、台東区浅草の寺社廻りに出かけた。
この日は思いの外暑くならず、快適なウォーキング日和であった。
14時半に地下鉄銀座線稲荷町の近くにある下谷神社で待ち合わせ。
この辺りは明暦3年(1657年)の江戸大火により、江戸各地より寺院がこの付近に移転してきて、一大寺町を形成している。
東上野、松が谷、元浅草、寿、西浅草町の一帯だけでも110を越える寺社がある。
今回はこの中からいつものように独断と偏見で選んだ寺社を訪ねることに。
この日は思いの外暑くならず、快適なウォーキング日和であった。
14時半に地下鉄銀座線稲荷町の近くにある下谷神社で待ち合わせ。
この辺りは明暦3年(1657年)の江戸大火により、江戸各地より寺院がこの付近に移転してきて、一大寺町を形成している。
東上野、松が谷、元浅草、寿、西浅草町の一帯だけでも110を越える寺社がある。
今回はこの中からいつものように独断と偏見で選んだ寺社を訪ねることに。
50下谷神社
創建 730年との伝
祭神 大年神(稲荷、スサノオノミコトの御子)、日本武尊
住所 台東区東上野3-29-8
創建 730年との伝
祭神 大年神(稲荷、スサノオノミコトの御子)、日本武尊
住所 台東区東上野3-29-8
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/13/17/j/o0292038914527124968.jpg?caw=800)
地下鉄から浅草通りに出ると、赤い大きな鳥居が目印になっており非常に判り易い(写真)。
境内はそんなに広くないが、参拝客で結構賑やか。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/47/a9/j/o0389029214527124977.jpg?caw=800)
形良い木造社殿(写真)は大正9年の再建で、天井画は横山大観作とのこと。
境内の石碑、案内板を見ると1798年、初代三笑亭可楽がここで初めて寄席を行ったとある。
「寄席はねて 上野の鐘の 夜長哉」(子規)の石碑が立つ。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/9f/2f/j/o0389029214527124986.jpg?caw=800)
この神社は昔より「正一位下谷稲荷社」として庶民の信仰を集め、稲荷町の地名の元にもなった。
社殿の左側に無数の赤い幟と共に隆栄稲荷社がある(写真)。これがそうなのであろうか。
例大祭の神輿は大きく千貫神輿と言われ、今年は5月8日だった由。
社殿右手の細い路地を入って行くと、真っ暗な個室トイレがあり、また庶民の匂いのする路地裏を垣間見ることができた。
51成就院
山号 摩尼山
宗派 真言宗智山派
創建 慶長年間か 中興開山は法印鎮伝(寛文2年卒)
本尊 大日如来
住所 台東区東上野3-32-15
山号 摩尼山
宗派 真言宗智山派
創建 慶長年間か 中興開山は法印鎮伝(寛文2年卒)
本尊 大日如来
住所 台東区東上野3-32-15
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/ab/03/j/o0292038914527124994.jpg?caw=800)
同町にある百観音成就院と区別するため、下谷田中成就院と呼ばれている。
御府内八十八ケ所霊場78番札所でもある。
写真は石柱門から境内、本堂を望む。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/2b/bd/j/o0389029214527125001.jpg?caw=800)
境内はかなり狭いが、手入れの良い庭木が整えられ、木造本堂(写真)、客殿、大師堂、客殿などがびっしり建っていた。
お彼岸を前にした土曜日ということもあり墓参の方が多く、邪魔にならないように拝観する。
52吉祥院
山号 摩尼寺
宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来
住所 台東区元浅草2-1-14
山号 摩尼寺
宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来
住所 台東区元浅草2-1-14
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/d0/dd/j/o0389029214527125013.jpg?caw=800)
ここも御府内八十八ケ所霊場60番札所。
ここもあまり広くない境内いっぱいに樹木が植えられており、その狭さを補っている。
その樹木の中に宝形造の木造本堂がひっそり建っていた(写真)。
護国寺の末寺とのこと。