続いて八戸三社まつりの龗(おがみ)神社を訪ねて、ここでタクシーより下車。
神社の場所は八戸線の本八戸駅のすぐ近くであった。
それにしてもなんとも難しい字である。

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祭神は龍神の高龗神。
拝殿の前にたくさんの鈴が下がっているのが面白い(写真)
また拝殿はこれまた質素(というか崩れかけた)な回廊で社務所にと続く。
正中年間(1324~26)に前身である法霊社として創建されたとのこと。

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本殿(写真)は1825年建立の三間社流造り。
また彫刻も一木から彫り出した見事なものだという。
また案内板には義経伝説ゆかりの神社であると書かれている。
義経は平泉で死んだのではなく、八戸に落ちのびた伝説が今も語り継がれている。
義経は奥方をともなって八戸に来ていたが、亡くなり葬むった場所が当神社とのこと。
また近郊には義経伝説にまつわる話、場所は沢山ある。

八戸三社大祭は毎年8月1日から3日まで行われる八戸最大のお祭りである。
もともとは「おがみ神社」の前身の「法霊社」で、天候回復と豊作を祈願する祭礼であったが、明治になってさらに神明宮、長者山新羅神社が加わり、三社合同祭となった。
メインは人形山車で、意匠をこらし、せり上がりなどの仕掛けを工夫した大掛かりなもの
が20台以上も続くという。

まだ時間があるので、少し本八戸の街を歩いてみることにした。
市役所を初め、繁華街はこちらと聞いていたが、歩いてみると思ったより人通りも少なくさみしい街並である。

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そんな中、八戸市役所の向かいの豪壮な門が目についた。
八戸城角御殿表門(写真)を復元したもの。
三間一戸の大棟門形式。
現在は南部会館の門になっており、内部は拝観できないとのこと。

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さらに市役所の横を西に向かって歩いてゆくと、突き当りに更生閣(写真)がある。
1897年に豪商泉山家の邸宅として建築されたもの。
泉山家は呉服、醤油製造、泉山銀行などの経営をした。

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本八戸駅に向かって歩いてゆく途中、小高い岡に登る坂道があるので登ってみると、八戸城本丸跡であった。
現在は三八城公園として市民の憩いの場となっている。
1629年に築城されたとされるが、天守を持たない陣屋形式だったとされる。
南部直房の銅像と石碑があった(写真)。

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その一角に樹木に囲まれて三八城神社が静かに建っていた。
1689年に勧請され、祭神は新羅三郎義光と、南部藩始祖の南部三郎光行。
木造社殿(写真)、稲荷社がある。

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また境内の一角に大きな石が置かれ、真ん中がくぼんでいる。
説明板では、弁慶が岩に印した足跡との伝説。
ここにも義経伝説の跡があった。

本八戸駅から八戸線に乗り、八戸駅に出て、東北新幹線「はやて号」で帰京した。
今回の旅は最初に計画していた以上に盛り沢山となり、また充実した旅でもあった。
こういう旅はやはり一人旅でなければ不可能であっただろう。

また、たまたま偶然の話であったのかもしれないが、秋田、弘前、青森、八戸の人達が、お互いの悪口を言われていたのが印象に残る。
青森と八戸の関係は以前から知ってはいたが、いずれにしても歴史を今に引きずっていることに深い感銘を受けると同時に驚きでもあった。

それにしてもこの梅雨の時期、三日間全く雨に合わなかった。
これも日頃の神仏への信心の賜物であろうか。
感謝、感謝。

また時期を見て、盛岡、山形、米沢なども訪ねてみたいものである。
これにて目出度く「みちのく一人旅」の打ち止め、打ち止め。